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2017年8月の62件の記事

2017年8月31日 (木)

「優しい」という字

「優しい」という字は、
「にんべん」に「憂い」と書く。
つまり心配事や悲しみを抱えている人の
側に寄り添う人の心を
「優しい」というのだ。
「思いやり」とか、
「優しい」ということは、
人の苦しみを深く知ることから始まる。

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逆境と試練が人生の花を咲かせた

★愛媛県西条市に「のらねこ学かん」という知的障碍者のための通所施設があります★
ここを自費で運営しハンディのある人たちの人生の花を開かせている塩見志満子さん

一つのきっかけとなったのは私が38歳の時に小学2年生の長男を白血病で失ったことです
白血病というのは大変な痛みが伴うんですよ
「痛い、痛い」と叫ぶと脊髄から髄液を抜く、そうすると痛みが少し和らぐ、それを繰り返すわけですよ
ある時長男はあまりの痛さに耐えかねて、
そんなこと言う子じゃないんですが、「痛いが(痛いぞ)、ボロ医者」と大声で叫んだんです
主治医の先生は30代のとても立派な方で、「ごめんよ、ボク、ごめんよ」と手を震わせておられた
長男はその2か月半後に亡くなりました

49日が済んだ後、主人と2人お世話をかけたその主治医の先生に御礼を言うために病院に行きました
ところが、いらっしゃらないんです
聞いてみたら長男が死んだ後「僕は小児がんの研究をするためにアメリカに渡る」と
すぐにその病院を辞められたと
私たちは「ボロ医者」という長男の一言が、
この先生をいたく傷つけたかもしれないと思うと申し訳なさでいっぱいでした

後で知ったのには、その先生は10年間アメリカで小児がんの研究をした後
小児がんの権威となり、日本の国立小児病院に帰ってこられたそうです
いま思い出しても本当に素敵な先生でしたね

──そうでしたか
長男が小学2年生で亡くなりましたので、4人兄弟姉妹の末っ子の二男が3年生になった時
私たちは「ああこの子は大丈夫じゃ、 お兄ちゃんのように死んだりはしない」と喜んでいたんです
ところが、その二男も、その年の夏にプールの時間に沈んで亡くなってしまった
長男が亡くなって8年後の同じ7月でした

──プールの事故で突然……
近くの高校に勤めていた私のもとに「はよう来てください」と連絡があって
タクシーで駆けつけたら、もう亡くなっていました
子供たちが集まってきて「ごめんよ、おばちゃん、ごめんよ」と
「どうしたんや」と聞いたら10分の休み時間に
誰かに背中を押されてコンクリートに頭をぶつけて沈んでしまったと話してくれました
母親は馬鹿ですね
「押したのは誰だ。犯人を見つけるまでは 学校も友達も絶対に許さんぞ」
という怒りが込み上げてくるんです
新聞社が来て、テレビ局が来て大騒ぎになった時、
同じく高校の教師だった主人が大泣きしながら駆けつけてきました
そして、私を裏の倉庫に連れていってこう話したんです。

「これは辛く悲しいことや、だけど見方を変えてみろ、
犯人を見つけたら、その子の両親はこれから、
過ちとはいえ自分の子は友達を殺してしまったという罪を背負って生きてかないかん
わしらは死んだ子をいつかは忘れることがあるけん、わしら2人が我慢しようや
うちの子が心臓麻痺で死んだことにして、
校医の先生に心臓麻痺で死んだという診断書さえ書いてもろうたら、
学校も友達も許してやれるやないか、そうしようや。そうしようや」
私はビックリしてしもうて、この人は何を言うんやろかと
だけど、主人が何度も強くそう言うものだから、仕方がないと思いました
それで許したんです。友達も学校も……

──普通の人にはできないことだと思います、こんな時、男性は強いと思いましたね
でも、いま考えたらお父さんの言うとおりでした
争うてお金をもろうたり、裁判して勝ってそれが何になる……

許してあげてよかったなぁと思うのは
命日の7月2日に墓前に花がない年が1年もないんです
30年も前の話なのに、毎年友達が花を手向けてタワシで墓を磨いてくれている
もし、私があの時学校を訴えていたら、お金はもらえても、
こんな優しい人を育てることはできなかった
そういう人が生活する町にはできなかった
心からそう思います

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2017年8月30日 (水)

諦めないことをクセに

諦めることはいけないことではない。
諦めることがクセになるのがいけない。
一度でも諦めてしまうと、
諦めることが、知らず知らずのうちに、
いつのまにか習慣化してしまう。
ちっとも苦しくないのに、
苦しくなる前から、
苦しくなったら諦めようと、
準備を始めてしまう。
苦しくなってもふんばっていると、
やがて諦めないことがクセになる。
 中谷 彰宏

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感謝の心が、しあわせへの近道

生まれつき目が見えなかった人が
20歳になって手術が成功し奇跡的に視力が回復しました

初めて水道の水を見たとたん
「水はこんなにきれいだったんだ!」と涙を流したそうです。
あなたは水道の水に感激したことはありますか?
水道の水は、蛇口を捻ればいつでも出てくると思っていれば、
そこに感動も感激も感謝もありません
幸せを感じられない原因で共通して言えることは、
『何かができることを 「当たり前」だと思っている』ということです

★身体が自由に動くことを「当たり前」だと思わないこと
★毎日住む家があって、食事できることを、「当たり前」だと思わないこと
★親が自分を養ってくれたことを、「当たり前」だと思わないこと
★家族が平穏無事に生きていることを、「当たり前」だと思わないこと
★働いて給料をもらえることを、「当たり前」だと思わないこと

★病気やケガを医者が治してくれるのを、「当たり前」だと思わないこと
★乗り物に乗ってどこにでも行けることを、「当たり前」だと思わないこと
★空気を無料で吸えることを、「当たり前」だと思わないこと
★数十億の中から 生まれる人との出逢いを、「当たり前」だと思わないこと
★人間としてに生まれてきたことを、「当たり前」だと思わないこと

「~があれば幸せになれる」、と考えている人は
「~」が手に入っても幸せになれません
「~」に、
自分が幸せになれない原因を押しつけているからです
当たり前のことを、当たり前に思わない
【感謝の心】が、しあわせへの近道であり
しあわせはどこか遠くにあるのではなく
当たり前の日常の中に宿っているのです
 **ー大樹 ー**

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2017年8月29日 (火)

人をけなす人に成長はない

人のことをけなしたり、
悪く言うことは とても簡単なことで、
そんなことばかり言っている人に成長はない。
傲慢になってしまうから。
どんな人にでも、素敵な点を発見して、
自分で吸収して生きていく。
相手の素敵なところを発見できるようになれば、
自分も成長できる。

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ある披露宴での父と娘の手紙

あるテレビ番組で放送されたお話しです。
とあるウェディングプランナーの方が体験したステキな結婚披露宴のお話し。

先日、お手伝いさせていただいた披露宴で、とっても素敵な奇跡が起きました。
その新婦は、お父さんのことが大好きなようでした。
そこでその披露宴では、通常はやらないのですが、
お父様から新婦へ手紙を読む時間を設けました。
愛する娘に伝えたい、素直な気持ちを手紙につづってもらうよう、お父様にお願いしたところ、
「伝えたいことが沢山ありすぎて、うまくまとめられるかな?」
と、言いながら、快く受けていただきました。

そして迎えた披露宴当日、お父様の席にうかがい、
「お手紙書いていただけましたか?」とたずねると、お父様が嬉しそうに、
胸ポケットから取り出したのはくしゃくしゃの紙。
それは何度も何度も書き直し、読み返した後のある紙。
しわしわになったお手紙でした。
披露宴が終盤にさしかかり、本来なら花嫁からのお手紙の時間です。
ここで、新婦からのお手紙の前にお父様から手紙を読んでもらいました。

《お父様から娘さんへのお手紙の内容》
娘が生まれるとわかった瞬間、嬉しくて嬉しくて。
幼い頃はおてんばだった君。
怪我をしないか毎日、心配になって。
君は小学生の頃、いじめにあっていましたね。
毎日、泣きながら学校から帰ってくる君。
学校に行きたくないとだだをこねる君。
厳しく叱った時もありましたね。
けれど、君が眠りについた時、
きびしく叱ってしまったことを後悔して、君の寝顔を眺めていました。
この子だけは、何があっても守り抜かなければ。
どんなことがあっても。自分はこの子の味方でいよう。
そう誓い、寝ている君の頬をなでるしかなかった。
私にはそうすることしかできなかった。

ここまでお父様が手紙を読まれた瞬間、
新婦はせきを切ったように、顔を覆って涙されました。
続いて、涙を流しながら、新婦が手紙を読む番です。
新婦の大泣きのわけが、その手紙の中にこめられていたのです
その手紙の中には、こんなことが書かれていたのです。

《新婦からお父様への手紙》
私は小学生の頃、いじめにあっていました。
「辛くて辛くて、学校に行きたくなくて」
そうお父さんに伝えると、厳しく怒られたこともありました。
でも、泣きながら私が布団をかぶっていると、
お父さんは私の隣にそっときて、
私のほっぺたを何度も撫でてくれましたね。
その手が暖かくて、やさしくて、とても安心して、
明日もがんばろう、そう思いました。
お父さんはきっと、私が寝ていると思っていただろうけど。
私は、毎晩起きていたんですよ。
お父さん、ありがとう。

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2017年8月28日 (月)

人生の選択肢は2つしかありません

人生の選択肢は
2つしかありません。
今やるか、一生やらないか。


「いつか」がやってくることは
ほとんどありません。

今日やらなければ
一生やらないのと一緒。

始めるのに
ベストタイミングは
「今」です。

 「あかさたなはまやらわ」の法則より

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あきらめないことは大切だが、執着しない

 【あきらめないことは大切だけれども、それを執着にはしない】 医学博士、帯津良一さん
がんの治療にこころの在り方がとても重要な意味をもっていることは、
もう私にとっては確信となっています。
そして、こころの在り方のひとつである「あきらめない」気持ちは、間違いなくプラスに働きます。
ところが、あきらめない強い気持ちをもってがんに立ち向かっている人は経過がいいかといえば、
決してそうとは限りません。

はてさて、これはどういうことか、私は迷路に迷い込んだような気持ちになってしまいました。
そんなとき、カール・サイモントン博士というがんの心理療法の大家が病院を訪問してくれました。
そして、患者さんのために、講演をしてくださることになったのです。

サイモントン博士が考案し、世界各国で指導してきたサイモントン療法という心理療法は、
こころの治癒力を高めるとても有効な方法だと私も高く評価しています。
「がんという病気を乗り越えるには、絶対に治っていくという信念がないとダメです」
と、博士は患者さんにやさしい笑顔を交えて話しかけました。
つまり、あきらめない気持ちです。
しかし、ここで話が終わってしまえば、私にとっては、肩透かしを食らったようなものです。
その先を私は知りたいのです。

博士は、私の期待にこたえてくれました。
「でも、この信念が強すぎると、執着となって良くないのです」
なるほど、です。

諦めない気持ちと執着か。
何か光が見えてきた気がしました。
しかし、あきらめない気持ちと執着とは、どこで線引きしたらいいのでしょうか。
私がそう思っていると、ひとりの患者さんが手を挙げました。

「どこまでが信念で、どこから先が執着ですか?」
私はにんまりしました。
さて、サイモントン博士はどう答えるのか。
何ともスリルのあるやり取りです。

博士はこう答えました。
「治るんだという気持ちはいくら強くてもいいでしょう。
でも、その脇の方でいいですから、いつでも死ねるという気持ちを持ってほしいのです」
患者さんの中からは、「そんなことはできません」という声も上がりましたが、
私は100点満点の答えだと感心しました。

できるかどうかはともかく、あきらめない気持ちの脇に、いつでも死ねるという覚悟を決めることは、
甘い食べ物に塩をひとつまみ加えることで甘みが増すようなもので、
生命力をアップさせるのかもしれません。
あきらめないことは大切だけれども、それを執着にはしない。
この塩梅(あんばい)が生命力の鍵を握っているようです。
 『粋な生き方』 幻冬舎ルネッサンス

「あきらめないことは大切だけれども、それを執着にはしない」
これは、何もがんや病気に限らない。
どんなに強く願っても、祈っても、頑張っても、成就しないこともある。
その時はどうするか。

「そこから先は神の領域」という三浦綾子さんの言葉がある。
必死でがんばっても何ともならないとき、「そこから先は神の領域」と、ポンと今までの執着を手放す。
あとは神が決めてくれる。

執着を手放し、覚悟を決めたい。


2017年8月27日 (日)

みずから限界をつくっていないか

『みずから限界をつくっていないか』
自分の力を過信してはならない。
だがそれと同時に、自分を過小評価することもないようにしたい。
取り組む前から自分には無理だと決めつけてしまうと、
努力や工夫をしようという気持ちは生まれてこない。
それでは、できることもできなくなってしまう。
ゆたかな可能性の芽を、みずからつみ取ってしまってはならない。
 「松下幸之助 成功 日めくり」より

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完璧でいようとなんて思わない

 【完璧でいようとなんて思わない】
気分が良いときも

そうでないときもある

うまくいくときと 
そうでないときがある

大事なのは 
他人のせいにしないこと
それだけで十分

いつも穏やかに 
笑顔でなんて 
ちょっと頑張りすぎだよ
もちろん 
そんな風にいられたら
素敵だけどね

素直でいい 
怒ってもいい 
泣いてもいい
でも 
すべて自分の言動には
責任を持って

間違ってしまったら 
ごめんなさい

支えてもらったら 
ありがとう

感謝と反省の心があれば 
十分だよ

完璧を目指していたり 
頑張りすぎてる人って

見ていて 
ちょっと辛いときがあるよね

等身大が大切
等身大の自分で
頑張ってるくらいの方が
見ていて気持ちがいいものだよ

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2017年8月26日 (土)

幸せはいつも感謝から始まる

「幸せはいつも感謝から始まる」
自分が欲しい何かを願う前に、
もう一度、
自分が既に持っているものに
感謝をしよう。
幸せはいつも
感謝から始まるんだ。

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モスバーガーのおばちゃんの話

【モスバーガーのおばちゃんの話】
モスバーガーってご存知ですか。
日本でただひとつの、日本生まれのハンバーガーチェーンです。
作り置きをせず、すべて注文を受けてから作ります。
スタッフの人もおばちゃん、おじちゃんが多い。
高校生や大学生のバイトと違ってとても自然体なんです。

ある日の夕方、いつものようにテリヤキバーガーを頬張りながら、
なんとなくカウンターの方をみていると、若い女性がやってきました。
『モスバーガーください。ソースは多めで。タマネギは抜いてください』
よくある注文です。
しかし、それに対する返事がよくある返事ではなかったのです。

おばちゃんアルバイトのその店員さんは、
『あんた、タマネギ嫌いなの? 若いうちから好き嫌いはだめよ。
タマネギは栄養の宝庫なのよ。あんた、まだ独身でしょ。
これから結婚して子供を生んで、旦那さんの面倒見ていくのに、栄養つけなきゃだめ。
ちょっと火を通しといてあげるから食べてごらん。
だまされたと思って。ほんとにおいしいのよ。いいわね。」
その女性、あっけにとられて、思わず、 
『はい。お願いします。』
・・・窓際のカウンターで食べ始めた彼女の目に、涙が浮かんでいるのに気付きました。
やっぱりタマネギが辛かったのでしょうか・・・

想像するに、彼女、多分東京で一人暮らしをしているのでしょう。
一人だけの侘しいハンバーガー・ディナー。
それが、おばちゃんアルバイトの一言で心温まる時間になった。
長いこと誰からもこんな言葉をかけてもらった事が無かったんじゃないかな。
嬉しかったんだ、きっと。

帰り際のカウンターで、『ご馳走様でした。すごく美味しかった。
 また来ますから、タマネギお願いします!』
『いいわよ、いつでもいらっしゃい。 でもハンバーガーばかり食べてちゃだめよ』
『えっ、お店の方がそんなこと言っていいんですかぁ(笑)』
『あらっ、そうね。今の、店長には内緒よっ!(笑)』
帰っていく彼女の後姿、来た時よりもずっとずっと元気に見えました。
 ザ・リッツ・カールトン・ホテル 日本支社長 高野登 【心に届く「おもてなし」】 より

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2017年8月25日 (金)

成功の理由

人は、松下さんは成功した、
けっこうですなと言うてくれる。
なぜに成功したんですかとよう尋ねられるけれども、
どうして成功したのか、わしにもわからん(笑)
いい部下に恵まれたこと、
ひいきにしてくださるお客さまが
たくさんできたこと。
そういうことやろうな。
だから、今日のわしの成功は、
部下とお客さまのおかげやな。
成功の理由はそれやな。
ありがたいことやとしみじみ思う。
 ー松下 幸之助ー

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幸せとは

 【幸せとは、すでに幸せに囲まれていることに気がつくこと】 小林正観さん
本当の幸せというのは、何かを想定して、それが手に入ったから幸せなのではありません。
幸せとは、すでに幸せに囲まれていることに気がつくということなのです。

今幸せなことに気がついたら、悪魔さんは一番困るのです。
そして、その足りないものが手に入らないから不幸だと思い、
どうして手に入らないのかと人の悪口を言い、政治や教育が悪いと文句を言うのです。
こうしたことを言っていると幸せはやってきません。

そもそも悪魔さんは幸せがその人に満ち足りてこないようにしたいからです。
今自分のおかれている状況に満足しないことは、不平や不満と紙一重なのです。
「ほしいものが手に入らないから不幸なんだ」
「もっともっと努力しないと幸せにはなれないんだ」
と思うことは、悪魔さんの陰謀かもしれないのです。

朝起きて、目が見えること、耳が聞こえること、歩けること、ご飯が食べられること、
今この瞬間が幸せだと思える人に、悪魔さんは手を出すことができません。
 『ありがとうのすごい秘密』 中径出版

小林正観さんはこう語る(本書の中で)。
「悪魔さんが一番手を出せない非常に困った存在は、
今の普通の状態を『幸せなのよね』と言ってる人です。
なぜなら悪魔さんは幸せを知ってしまった人には手を出せないからです。

私たちは、ありとあらゆることに恵まれているので、その恵まれていることに気がついたら
『ああ私は本当に恵まれてこの世に生まれてきたんだ。本当にラッキーでついてる』と思えるわけです」

やっかいなことに、多くの人たちは、病気になったり、入院したり、会社の業績が悪化したりしないと、
今まで過ごしていた当たり前のような日常が、どんなに幸せだったのか気づかない。
幸せがなくなってみて初めて気づくのだ。

すごい大イベントが成功したとか、人生の一大事が決まったというのもよいが、
それだけを幸せの目標にすると、他に日常無数に起きている幸せに気づくことができない。
幸せには大きいも小さいもない。
幸せかどうかは、幸せに気づける人か、気づけない人かの違い。
「幸せとは、すでに幸せに囲まれていることに気がつくこと」
目が見えること、耳が聞こえること、歩けること、ご飯が食べられること、
今この瞬間が幸せだと思える人でありたい。





2017年8月24日 (木)

今日から再スタート

『 今日から再スタート 』
これで大丈夫と思った時が、

終わりの始まりなんですよ
- 松井秀喜 -

始めるのは「努力」
辞めるのは「勇気」
- 小柳栄次 -

きついと感じている時に、
人間は成長している
- 中谷彰宏 -

真剣に考えても深刻になるな!
- 松岡修造 -

「すべてを失った」のではなく、
「元に戻った」だけのこと
- 佐賀のがばいばあちゃん -

いいじゃないか
5年道草をくったら、
5年遅く生まれて来たと思うのだ
- 吉川英治 -

人生にリセットボタンは無いけれど
スタートボタンは何回押してもいい

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あなたが大切なの

あなたが大切なの
目が覚めたら生きていた
朝起きたらもうご飯ができていた
窓を開けたら美味しい空気があった
毎日ご飯が食べられる
買い物に行ったら欲しいものが買えた
美味しいものを食べて美味しいと感じる
結婚して子供が生まれた
子どもがすくすく育っている。……

「こんなこと、当たり前だと思ったら大間違いです
世の中に当たり前のことは、たったひとつしかないんです
それは、産まれてきたすべての命には必ず終わりがあるということ
それだけが当たり前のことでそれ以外のことはすべて奇跡なんですよ」
助産師の内田美智子さんがこう話していた

内田さんといえば一昨年、この社説でも紹介した『いのちをいただく』の著者

毎年牛を殺して肉にする仕事をしている
坂本さんと、畜産農家で「みいちゃん」という牛と一緒に育った女の子の話を綴った感動的な絵本だ

この年末から年始にかけて、内田さんは連日新しい命を取り上げた
その中には15歳の少女もいた
分娩室で彼女は「痛い、痛い!」と泣き叫びながら、
やっとのことで3000グラムを超える大きな赤ちゃんを産んだ
妊娠に至った経緯には言うに言えない事情があった
しかし、産まれたばかりの赤ちゃんを抱きながら、少女は「ママよ、私がママよ」
と何度も語りかけていたそうだ
しばらくして、ずっと寄り添っていた30代後半だろうか、40台前半だろうか
若くして祖母になったばかりの母親に向かって言った
「ママ、ありがとう」

同じ頃、国会議員の野田聖子さんが不妊治療の末、50歳にして男の子を出産した
「50歳だろうが、15歳だろうが生まれてきた子は乳飲み子、
手がかかるのは同じ周囲のサポートは同じように必要です
中学生だろうが、国会議員だろうが母親は一人しかいないんです
育てられることに感謝して欲しい」と内田さんは言う

30年以上もお産の現場にいる、
そこは「おめでた」ばかりではなかった。
妊娠が分かってから女性は約10ヶ月の月日を経ながら
少しずつ「母親になる」という決意をしていく
それは自分の命を賭けて産むという決意だ
わずか50年前、約2000人の母親がお産のときに命を落としていた
内田さんが助産師になった30年前は300人
一昨年でも35人の母親が自らの命と引き換えに子どもを産んだ

死産もある
ある妊婦は10ヶ月目に入って胎動がしなくなったことに気が付いた
診察の結果、胎児は亡くなっていた、
でも、産まなければならない
普通、お産のとき「頑張ってもうすぐ元気な赤ちゃんに会えるからね」
と、妊婦を励ますが
死産のときには掛ける言葉がないという
泣かない子の代わりに母親の泣き声が分娩室に響き渡る

その母親は内田さんに「一晩だけこの子を抱いて寝たい」と言った
真夜中、看護師が病室を見回ると、母親はベッドに座って子どもをだいていた
「大丈夫ですか?」と声を掛けた看護師に
母親は「今、お乳をあげていたんですよ」と言った
見ると、母親は乳首から滲み出てくる乳を指に付けて、子どもの口元に移していた
「このおっぱいをどんなにかこの子に飲ませたかったことか
泣かない子でも、その子の母親でありたい、と思うのが母親なんです

何千年の時を経ても母親は母親であり続けるんです。」と内田さん
父親・母親世代に内田さんは
「子育ては時間が取られるなんて思わないで、育てられるだけでも幸せなことなのよ」
と語り
学校に呼ばれたときには、「お母さんは命賭けであなたたちを産んだの
だからいじめないで。死なないで」と子ども達に訴える
「命が大切なんじゃない、あなたが大切なの」と
****************************************
本当に、命の大切さが伝わってきます
わたしも、今を生きていることは大変貴重なことだと思えます
あなたが大切なのと
子供さんに言えるならば・・・・・

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2017年8月23日 (水)

言葉の心づかい

【言葉の心づかい】
言葉の心づかい

それはやはり
自分の痛みを
他人にはさせまいという
優しさであり
口にしてはならない言葉を
のみ込んでしまう
心の高貴さであり
意志の力でもある

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お金は残さないほうが・・・

「お金を残さないほうが、子供の暮らし向きはよくなっていく」
私は今まで本書のなかで、
アメリカの重要な産業資本家に関して実施した調査について触れてきた。
彼らはアメリカでもさまざまな大産業を指揮する人物である。
しかしそのなかで、親から企業を受け継いだ者は十パーセントにすぎず、
特別な教育を受けた人も十五パーセントしかいなかった。
このような状況から、繁栄の基礎となる性質を生み出してくれるのが、
富や教育以外に存在しているということは明白である。

私たちは子供のために、自分を犠牲にして財産を蓄積しようとする。
ところが統計によると、
子供のために財産を蓄積したほうが、子供の将来の暮らしは明らかに悪くなっていた。
統計が証明していることのひとつは、
お金を残さないほうが、子供の暮らし向きはよくなっていくということなのである。
それは精神や身体の豊かさばかりでなく、財産それ自体にも言えることである。

教育の問題に関しても、私たちは働いて、節約してお金を貯め、子供に教育を与え、大学に送っている。
ところが、統計によって、
我が国の主要な起業家のなかで大学の卒業生である者はごくわずかしかいないことが分かった。
個人的な成功、地域の成功、国家の成功は、
人間の魂のなかに存在する誠実さ、信念、勤勉、兄弟愛、好奇心のような基礎で決まるのである。
  繁栄の条件 ロジャー・W・バブソン 著 住友 進 訳 きこ書房
_______

親がお金持ちで恵まれた環境があっても、
親が貧しくて恵まれた環境がなくても、
経済力が子供の成長や成功を左右するわけではないということです。
芸能人やスポーツ選手や有名経営者を見ていても、
貧しい環境から大成した人は数えきれないほどいます。
では一体、なにが大切なのか?
褒めることなのか?叱ることなのか?
そのヒントが、福島正伸先生の言葉にあります。
___

誉めても、叱りつけても
どのように接したとしても
人は、それに応じた育ち方をする

子をみれば、親がわかり
部下をみれば、上司がわかり
社員をみれば、社長がわかる

人が勝手に一人で育つことはない
人は育てたように、育っている
自分のまわりにいる人は、自分の鏡である

相手がそうしているのは、自分がそうしてきたから
相手が本気にならないのは、自分が本気になっていないから
怒らないとやらないのは、怒ってやらせてきたから
まわりが助けてくれないのは、自分がまわりを助けてこなかったから
部下が上司を信頼しないのは、上司が部下を信頼してこなかったから
収入が少ないのは、価値を与えていないから

つまり
得るものを変えるためには、まず与えるものを変えれば良い
他人を変えたければ、自分を変えれば良い
人を育てたければ、自分が育つ姿を見せることである
___

子供は親の「姿勢」を見ています。
部下も上司の「姿勢」を見ています。
親がテレビばかり見ていて、子供には「勉強しろ!」と言っても勉強しません。
上司がサボってばかりいて、部下には「結果を出せ!」と言っても陰で笑われるだけです。

「得るものを変えるためには、まず与えるものを変えれば良い
他人を変えたければ、自分を変えれば良い
人を育てたければ、自分が育つ姿を見せることである」
この言葉に尽きると思います。



2017年8月22日 (火)

正論

正論は正しければ
正しいほど鋭くなるよ


丁寧に扱わないと
お互いが傷つく。
- ヤポンスキー こばやし画伯 -

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他人に紹介したい人

  【他人に紹介したい人】  家入一真
人脈を金脈と勘違いしている人が多いよね。
異業種交流会に必死に参加して名刺を配っても何の意味もないよ
興味のある相手とは、その場でフェイスブックで繋がっておけば、
後からコンタクトもとれるし、
その人が普段どういうことを発信しているのかもわかる。

薄っぺらい人間関係をいくら作ったって、そんなのはすぐ見透かされるよ。
「誰々を自分は知っている。」
なんてアピールをする人ってよくいるよね。
僕は、人脈をいっぱい持っている人間より、
逆に他人から紹介したいと思ってもらえる人間になりたい。

人の付き合いなんてストックするんじゃなくて、フローでどんどん回す。
死んだ人脈を貯め込んだって意味ないよ。
必要なときに思い出してもらえる人間になれたらそれでいい。
必要なときに必要な人とは、またどこかで出会うから。
   『バカ、アホ、ドジ、マヌケの成功者』(NORTH VILLAGE)

人脈と、アイデアはよく似ている。
激動の現代、どんな素晴らしいアイデアであっても、
それを貯め込んでしまったら、すぐに陳腐化する。
新しいアイデアを思いついたら、
すぐにそれを「実行する」か、「誰かに話す」ことが唯一、陳腐化を防ぐ手段。

アイデアをいっぱい持っている人間より、「あの人は面白い」、
「あの人を紹介したい」と思ってもらえる人間の方がカッコイイ。
現代はフローという「使ってナンボ」の時代。
ストックという貯めれば貯めるほど、価値は下がっていく。

「他人に紹介したい」と言われる人でありたい。


2017年8月21日 (月)

心の掃除をしましょう

 「心の掃除をしましょう」
部屋の掃除を
おろそかにしていると、

疲れはますますたまってきます。

あなたが暮らす部屋と、
あなたの心身は
つながっているのです。

掃除の時間は
心を振り返る時間。

心の掃除をする時間だと
考えてください。

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泣くことで心が癒される

  【 泣くことで心が癒される 】
心がカチカチに固まってしまったなと
思う時はありませんか? 
原因はあまりにも忙しすぎる時や、緊張が続いてしまい、
本来の自分のペースが保てない時、意固地になってしまっている時
「自分」なのに「自分」ではない感じ。

こういう時は自分にも優しくできず心の余裕もなくなります。
周りの人にもよそよそしくなり、人に優しく接することもできません。
自分でも居心地が悪く「とげとげした自分」を発見して、
なんだかいつもの自分と違う!と思いながらも、気持ちの軌道修正ができない状態。

どうしていいか分からずいけない!いけない!と思うのに、
子どもや家族、一番の身内についつい当たってしまう。
そんなふうに固くなってしまった心をやわらかくほぐすにはいくつかの方法があります。

そのうちの1つが涙を流すこと!なのです。
これはとても効果的です。
最近は「涙活」というのがあります。
「涙を思いっきり流して泣く」とコチコチに固くなった心も優しく溶けていきます。

感動の涙、悲しみの涙、
自然に心を動かされてあふれる涙、うれしくて溢れる涙…。
どんな涙も心を動かしてくれます。
コチコチになった「心」を優しくほどいてくれる不思議な魔法です。
「涙」が溢れた後は、あんなに重たかった「心」もふっと軽くなり、
心が伸びやかに柔らかくなる感覚が生まれます。

「涙を流す」と心のくもりがとれて、心は軽くなり気持ちも楽になります。
「涙」を流した後は、しばし、ふっと気が抜けたようになりますが、
その状態がすごく大事なんです。
その時はしばらく意識を遊ばせてあげてください。
心がクリアになり無になっている状態です。

このときは直観力が冴えて何かがひらめくことも多いのです。
読物や映画の中で、心にグッとくるあなたのお気に入りを見つけて、
安心して涙を流してください。
「涙」は、心に優しく潤いを与えてくれます。
そんな「涙」を流せたら、とっても幸せですね。

これからもあなたのいのちをますます輝かせてください。
あなたの人生はこれからもますます良くなっていきます。
今日もあなたの愛と喜びに包まれる
素敵な一日でありますように。 


2017年8月20日 (日)

体が疲れたら

体が疲れたら
  一息つくよね。

息抜きが
  必要だから
「体」から
  「一」息抜いて
  「休」むんだね。

- ヤポンスキー こばやし画伯 -

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幸せ

 「幸せ」 菅野直基 (出前牧師カンちゃん)
中国のことわざに、「三日幸せになりたければ結婚しなさい。」というものがあります。
イギリスでは、「一ヶ月だけ幸せでいたいなら、結婚しなさい。」ということわざがあります。
イギリスでは、結婚が「一ヶ月の幸せ」に対し、中国は、「三日の幸せ」とは少し短い気がしますが、
新婚旅行の行き帰りで使う成田空港で離婚を決意する「成田離婚」が存在するくらいですから、
あながち嘘ではありません。

結婚とは、日を重ねれば重ねるほど幸せを感じることができるものですし、
その幸せは一生続くものなのにもったいないです。
ある人は、「美人は3日で飽き、ブスは3日で慣れる。誰と結婚しても同じだ!」と言いました。
真意は、「いかに最初の愛で相手を愛し続けるか!」ということだと思います。

聖書は、神との関係において、「あなたは初めの愛から離れてしまった。
それで、あなたは、どこから落ちたかを思い出しなさい。」(黙示録2:4~5)と教えます。
もし結婚の幸せが継続していないとしたら、どこかで初めの愛から離れてしまっているのです。
結婚する二人は、今まで全く違う環境に育ち、赤の他人でした。
男女の違いもありますし、違って当たり前です。性格の不一致も起きて当然です。
それを、強引に一致させようとするから問題が出て来るのです。
あるがままで相手を受け入れ、許し、愛し続けましょう。

「結婚前は、両目を開きなさい。結婚後は、片目を閉じなさい。」と言われます。
結婚前は、両目を開いて、「この人は自分が一生涯生きて行くのにふさわしい人か」を見定めて、
結婚後は、片目を閉じて悪い部分には目をつぶり、
片目を開けていい部分に目を向けて行くことが大切です。
多くの場合は、これが逆になっています。
結婚前は、「ぽーっ」となって、片目はおろか、両目までもつぶったまま結婚をし、
結婚後、我に返って、「しまった!」ということになり、
相手を変えようとし、変わらなければ力づくで変えようとして関係が悪くなってしまうのです。

イギリス人は、結婚の幸せが一ヶ月間、中国では、結婚の幸せは三日間ということですが、
日本は、そして、あなたはどれくらいでしょうか? 
どの国の人でも結婚の幸せが終わる日は必ず来ます。しかし、それは恋の終わりです。
幸せを恋と一緒に終わらせないでください。

恋には二つの終わり方があります。
一つは、別れるという形で終わり、もう一つは、愛という形に変えることで終わります。
後者の形で恋を終わらせ、一生幸せな結婚生活を送れるようにしていけたらいいのです。
恋は「あばたもえくぼ」。愛は「あばたをあばた」として受け入れ、
許し、愛すること。そこに結婚の幸せの秘訣があります。
家庭が幸せだったら、人生のほとんどが幸せになるものです。
どうぞ、結婚関係を見直し、あり方を考え直していきましょう。

最後に、結婚していない人に寂しい思いを与えてしまう文章だとしたらごめんなさい。
「サザエさん」を見て、「ブルー」な気持ちになってしまう人がいると聞いたことがあります。
しかし、人は、相手が幸せに見えるものです。
比較しないで、今の自分自身のままで幸せであることに気づいてください。
結婚してなくても、身近な人との関係を考え、
相手の「あばたをあばた」と認め、許し、受け入れ、愛してください。 

今日も幸せな一日でありますように。
私たちは幸せになるために生まれて来たのですから

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2017年8月19日 (土)

運のいい人

運のいい人も、
運が悪い人もいない

運がいいと思う人と。
運が悪いと思う人がいるだけだ。

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我慢し続けるといつか限界がくる

 『 我慢し続けるといつか限界がくる 』
苦しんで初めて自分の弱さを知る..
悩んで初めてやるべきことを知る
泣いて初めて強くなることを知る
後悔して初めて自分の目標を知る
失敗して初めて達成する事の難しさを知る
失って初めて幸せだったことを知る

いつも笑ってるからって
悩んでないわけじゃないし、
弱音を吐かないからって
辛くないわけじゃないし、
強く見えるからって
強いとは限らないし、
友達が多いからって
独りじゃないわけでもない。

なかなか人前で本心を見せられないだけ、
不器用なだけかもしれない。

我慢し続けるといつか限界がくる。
 - 作者不詳 -

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2017年8月18日 (金)

未来のあなたへ

 『 未来のあなたへ 』
幸せだとわかるのは

 つらかった時があったから
安心できるのは
 寂しかった時があったから
夢だと分るのは
 叶えられない時があったから
笑顔でいられるのは
 涙を流した時があったから
出会えたのは別れがあったから

どんな経験も無駄にはならない
未来のあなたに活かされる
 「出典」 -hisatotaguchiさん-


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小学3年生の時の思い出

 【遠足の帰り道で思いがけず・・・】
私が生まれてすぐ両親は離婚し、私は、母の実家で祖父母、母と暮らしていました。
母は私を育てるため、毎日毎日遅くまで残業していて、
朝しか顔を合わせない日もたくさんありました。
休みの日は、疲れて遅くまで寝ていて、どこかへ連れて行ってもらった記憶も殆どありません。
父兄同伴の遠足や運動会も、友達みんながお母さんと嬉しそうに、手をつないでいるのを見て、
やりきれない気持になりました。

私は手のかからない子供だったと思います。
自分の感情を抑えて、
「会社休んで参観日に来て」なんて、無茶を言ったことなんかもありませんでした。
一人遊びも上手でした。
すべてに遠慮して、幼い頃からおとなに敬語を使う子供でした。

小学校3年の時でした。
遠足に行った後、作文を書くように言われました。
「五感」をテーマに書くように言われました。
先生は、視覚・聴覚・臭覚・味覚・触覚について説明してくれました。
私はその中で触覚というものをテーマに選びました。

遠足でこんなことがあったのです。
山道を歩き、学校までの道でのこと。
皆2列になって、手をつないで歩くわけですが、私は列の一番後ろを歩いていました。
生徒の数が奇数だったため、私は一人で歩いていました。
一人でいるのが上手だから、こんな時の巡りあわせも、やっぱり一人。
そんなことをぼんやり思いながら、ぽつねんと歩いてました。

その時、ふいに私の肩をたたく人がありました
先生が来て、私の肩をたたき、微笑んでくれました。
そして、私と手をつないで歩いてくれたのです。
いつも先生が手をつなぐのは、もっと手のかかる子ばかりで、
私はいつも心の中で、羨ましいと思ってました。
なんだかすごくドキドキ嬉しくて、歩いてるうちに、目の前がうっすらぼやけてきました。
前がよく見えないまま学校に着きました。

作文には、遠足の帰り道での、先生の手の温かさについて、書きました。
私の作文を読みながら、先生が、「手くらい、いつでもつないであげるのに」
と震える声で言って、私の手をもう一度つないでくれました。

友達たちは、私の作文に何が書いてあったか気になるみたいで、私に聞いてきました。
でも、私は照れくさくて、走ってトイレに逃げ込みました。
鏡を見たら、涙がこぼれそうになっていました。
ブルっと顔を洗い、パンパンと頬っぺを打って、にっこり笑顔を作りながら、教室に戻りました。

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2017年8月17日 (木)

されたくないことはしない

人にされたら腹を立てるのに
同じことを自分は
知らず知らずのうちに

やっている
すべてを考えながら行動することは
できないけれど
せめて自分がされたくないことは
人にもしない
そういう人になりたい

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よい言葉は自分自身のため

 【よい言葉は自分自身のため】 佐藤富雄さん
つねに前向きな言葉を使っていると、人生は前向きに動いていきます。
「私の人生はよくなるいっぽうだ」
「必ずできる、とにかくやってみよう」
私もつねに、こういう前向きな言葉を使ってきました。
そして、「いくら出世しても、それだけでは面白くない。私は思う存分に人生を楽しみたい」と望んでいましたから、「人の何倍も働き、人の何倍も稼ぐ。収入は実業家並みに、趣味は貴族的に」と言葉にしてきました。

そう言って歩んできて実際にどうなったのかというと、私は今、確実に夢を現実のものとしています。
仕事は順調でじゅうぶんに収入がありますし、趣味はヨット、ハンティング、スキー、カメラなど多彩です。
私は著述のほかに講演をすることも多いので、
「夢や望みを抱くと心も身体もイキイキとする」
「私たちの脳には、夢を実現させる仕組みが備わっている」
「その仕組みを上手に活用するために、よい言葉をどんどん使おう」
と大勢の方々の前で話す機会に恵まれています。

このおかげで私は、自分の口から出た言葉の恩恵をそっくり一身に受け、
夢をことごとく叶えることができたのです。
言葉は、それを発した当人に最も強く働きかけるからです。
言動の一致というよりも、言ったとおりに現実は動いていくのです。
そのうえ、私のように、大勢の方々に聞いていただくことで、
言ったとおりのことが現実になるスピードはいっそう早まります。
あなたもぜひ、将来の夢や希望を周囲の人々に語ってください。
言えば言うほど、夢の実現が早まります。

「口ぐせ理論」の神髄は、自分の言葉によって自分の人生をつくっていく、というものなのです。
ここがちょっと誤解されやすい点なのですが、「口ぐせ理論」というものは、
元気な人の元気な言葉によって元気を分けてもらう、というものとは違います。
むしろその反対で、自分の言葉で自分の元気をつくりだし、
その元気を周囲の人にも受けとってもらおう、というものです。

自分の口から出た元気な言葉は、そっくりそのまま我が身に返ってくるのです。
これはぜひ、あなたも試してみてください。

しかし、
「いくらよい言葉をかけても、相手はちっともわかってくれない」
「意識して誉め言葉や感謝の言葉を使っているのに、相手からよい反応を引き出せない」
と悩んでしまう人もいます。
その場合は、少し視点を変えてみてください。

言葉の御利益はすべて自分に返ってくるのですから、
相手がどんな返事をしようと、それは大した問題ではありません。
大切なのは、自分がどれだけ自分のためによい言葉を使っているかという点です。
誉め言葉や感謝の言葉は、聞くよりも話すほうが効力は大きいのです。

よい言葉を口にするのは、まず自分自身のためです。
あなたはあなた自身のためによい口ぐせを用いてください。
それを継続していくことによって、周囲のあなたを見る目が変わっていき、
あなたが期待しているとおりのよい反応を示してくれる人々が増えてきます。
こういうよい循環をつくっていきましょう。

口ぐせの効果は、言った瞬間からたちどころにあらわれます。
しかし、言葉を聞いた相手に変化があらわれるには少し時間がかかる、と心得ておいてください。
 『いい言葉は人生を変える!』 ベスト新書

自分で発した言葉を一番聞いているのは自分。
なぜなら、口の一番近くある耳は自分のものだから。
よい言葉や感謝の言葉を発しても、まわりがあまり聞いていなかったり、関心がないように感じても、
自分に聞かせるためにしゃべっている、と考えるなら、人のことはあまり気にならなくなる。

反対に、いつも相手を批判したり、不平不満、愚痴、泣き言を言うことは、自分で毒を吐いているということ
やがて、まわりからも恨みをかったり、人も離れていく。
そして、毒を吐けば、相手も傷つくが、自分の方がもっとダメージは大きい。

「よい言葉は自分自身のため」
よい言葉を発し続けたい。



2017年8月16日 (水)

「しあわせ」ってなんですか

「しあわせ」ってなんですか
人それぞれちがいます
どんな小さなことでも
自分が
これでいいと思えるときが
しあわせです
☆あなたの小さなしあわせを大切に・・・

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成功の反対は

成功の反対は「何もしないこと」
私は山登りを通して
苦しみには3つの特徴があることに気づきました

1つは
「苦しみと闘おうとすればするほど
その苦しみは大きくなっていく」

もう1つは
「苦しみから逃げても
どこまでも追ってくる」ということです
人間の身体器官の中で
酸素の使用量が一番多いのが脳だといわれています
そのため、苦しい時に焦ったり
熱(いき)り立ったりすると
脳がどんどん酸素を消費してしまいます

7500メートル以上の世界では
少ない酸素をいかに無駄なく取り入れるかが大切なので
体力的に、精神的に本当に苦しい時に
あえてそこで「ありがとう」と言いながら登るんです
そうやって苦しみを受け入れると
不思議と心が落ち着いてきて
無駄な酸素を使わずに山を登ることができるんです

そして特徴の3つ目は
「苦しみは必ず喜びに変わる」ということ
例えば
高尾山のような低い山は簡単に登れてしまうので
登頂してもあまり感動は沸いてきません
しかし
8000メートル峰を登頂した時は
それまでの苦しみが大きい分
得られる達成感も半端じゃない
苦しみの分だけ、喜びがある
だから
苦しみは決して悪いものじゃないと考えています

信条としてきたことはいろいろとありますが
まず「一歩を踏み出す」こと
そして「諦めない」ということが
私の生きる姿勢かもしれません
山登りでは1歩を踏み出さないと
頂上にはいけません
登山に限らず
地上のいろいろなチャレンジにおいても
「できる」「できない」と考える前に
まずはやってみることが大切だと思うんです

私がエベレストを登頂できずに
下山して帰ってくると
周りからは「失敗した」って言われるんです
でもそれはちょっと違います
成功の反対は失敗ではなく
本当の失敗とは「何もしないこと」です

私は山登りを通して
挑戦し続けていく先に
必ずや登頂や成功があるのだと確信しています
だからこそ
諦めないことの大切さを伝えていきたいと思っています
“終わりなき頂上への挑戦”より

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2017年8月15日 (火)

今を大切にしよう

 【今を大切にしよう】
自分がしてきたことの結果が、

今の人生を形作って、
今することの積み重ねが
未来を作り出していく。

だから・・・

どうなるかわからない先のことに
心を痛めるより、
もうすんでしまったことを、
悔しがるより、

刻々と移り変わることがらを受け入れて
今を楽しんで生きてくことが、
いっちばん、大事!

胸躍る未来のためにも、
貴重な今を大切にしよう。

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こちらこそ本当に『ありがとう』

 【こちらこそ本当に『ありがとう』】
「お母さん、僕にありがとうと言ってくれた人がいた。
 僕でも人の役に立つことができるんだね」
と、台所仕事をしている私に、
30歳の息子が帰宅早々泣きながら言いました。

息子は卒業後、東京の大手の会社に就職し、
五年ほどで人間関係に疲れ果て、うつ病を背負って帰ってきました。
「死にたい、死にたい」が口癖の毎日が続いていました。

その日は、ちょっと気分がよいから
友人のところへ行ってくると外出したのです
友人と会った帰りに、駅で目の不自由な人が、
ややこしい乗り場でウロウロ困惑していたのを息子は目にしました。

それを見るに見かねた息子が声をかけ、
その方を乗り場まで案内して差し上げたとのことでした。
帰ろうとしたら、その背中に
「ありがとう、ありがとう」を何回も言われたとか。

自分はこの社会で役に立たない人間で、生きていても仕方ないんだと、
死ぬことばかり考えていた息子。
その息子が人さまから「ありがとう」と言われ、涙が止まらなくなり、
泣きながら家に帰ってきたのでした。

「よかったね、よかったね」
答えた私こそ、その人にお礼が言いたいのです。

なぜならば、あれほど心も身体も沈んでいた息子が、
その方の「ありがとう」のひと言がきっかけで、
少しずつ病気も快方に向かっているのです。
今では病院通いをしながら、仕事にも就き、
親から離れて独立した生活ができるようになったのですから。
私には「ありがとう」の言葉は、何にも勝る妙薬のように思えます。
 大阪府寝屋川市 C.K.さん

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2017年8月14日 (月)

自分を変える魔法の言葉

【 自分を変える魔法の言葉 】
「ない」と語尾につく
 言葉を言い換える

「わからない」は
 「調べよう」に

「つまんない」は
 「これから面白くなる」に

「できない」は
 「まずやってみよう」に

たったそれだけで
自分が変わる
世界が変わる

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呼べばやってくる

 【呼べばやってくる】 精神科医、斎藤茂太さん
《幸も不幸もない。 要は心の持ち方一つなのだ。》(シェークスピア)“斎藤茂太”

何でも他人のせいにする人がいる。
それを「他罰(たばつ)」と言うが、晩年、生きがいもなく、孤独になり、
わが身の不幸をかこつ人が現役時代にいかなる生活を送っていたかを調べると、
他罰傾向が強く、すべてを不幸と結びつけていることがわかった。

私もこの頃「失敗」が増えた。
つい先日、羽田空港の公衆電話の上に帰りの航空券を忘れた。
私は大喜びで「自分史」の老化への過程の中に書き加えた。
「失敗は成功のもと」とつぶやきながら。
 『心を豊かにする100の言葉』 PHP

時実新子(ときざねしんこ)さんにこんな言葉がある。
「太郎を呼べば太郎がくる」
これは、時実さんが祖母から教えてもらった言葉だそうだが、
「不幸を呼べば不幸がくる。幸せを呼べば幸せがくる」という意味だという。

我々は日ごろ、色々なものを呼んでいる。
グチや不平不満・文句とかを言っていれば、グチや不平不満を言いたくなるような状況がやってくる。
つまり、グチや不平不満を呼んでいる。
ツイてるとか、うれしいとか、楽しいと言っていれば、運や、うれしいこと、楽しいことがやってくる。
つまり、運や、うれしいこと、楽しいことを呼んでいる。

すべての今起きている現象は、自分が呼んだからやってきている。

「幸も不幸もない」
世の中には、「幸」という現象も、「不幸」という現象もない。
自分がある現象を見てそう感じただけ。
つまり、「幸せ」を呼べば「幸せ」が来る。
だからこそ、「呼ぶ」ことが大事。

いいことも悪いことも、呼べばやってくる。
どんなときも「幸せ」を呼ぶ人でありたい。



2017年8月13日 (日)

やるからできる 為すから成る

 『やるからできる 為すから成る』
どんなに強い願い、すばらしいアイデアも、
ただ心に思い描いているだけでは意味がない。
その強い思いを行動に移し、アイデアを実際に生かしてこそ、
はじめて事は成る。
考えているだけならば失敗はない。
けれども、失敗を恐れて行動しなければ、
成功もありえないのである。
 「松下幸之助 成功 日めくり」より

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自分の人生に責任を持つ

  【自分の人生に責任を持つ】 アカデミー学院 学院長 舟田 譲二
「あなたの将来は多くの要素にかかっている。しかし、一番大きな要素はあなた自身だ」
--フランク・タイガー、風刺漫画家・ユーモア作家 (訳 舟田譲二)

私たちの人生は生まれた境遇(親や家庭環境、社会環境等々)に大きな影響を受けています。
今、NHKで放映されている朝ドラ『ひよっこ』に登場する主人公、谷田部みね子は奥茨城村の農家に生まれ育ち、小さいときから田植えや稲刈りなどの農作業を手伝っていく中で、農家の仕事が大好きになります。小さな農家で経済的に厳しい状況から、父親は東京へ出稼ぎに出て働きながら仕送りして家計を支えます。みね子は、東京で突然行方不明になった父を探すため、また父に代わって家計を助けるため集団就職で上京することを決断します。

農家に生まれ、農家の仕事を子どもの頃から手伝ってきたことも、また家族を助けるために集団就職したことも、ある意味そういう環境に置かれた結果です。
これらはみね子の将来を決める大きな要素です。
しかし、かと言って、みね子の人生はこれらの要素によって決められたわけではありませんし、環境の犠牲になったわけでもありません。
一つひとつの出来事の背後には、みね子の選択があります。

私たちの人生も同じです。
人生に大きな影響を与える様々な要素はたくさんありますが、どの要素よりも最も大きく、そして重要な要素は、私たち自身の選択と決断、そして行動です。
私たちは決して環境の犠牲者ではありません。たとえどのような環境の下にいたとしても、それらの環境を生かしたり、あるいはひどい逆境に打ち勝つこともできるのです。「人生は今日からでも変えられる」の中に書いたオプラ・ウィンフリーがそれを見事なまでに実証しています。
また、このような例は枚挙にいとまがありません。

冒頭でフランク・タイガーが言っている「あなたの将来は多くの要素にかかっている。しかし、一番大きな要素はあなた自身だ」とは、まさにそういう意味です。
これは、学生だったら勉強や進学、部活や友達関係、社会人だったら仕事や家庭や職場の人間関係、はたまた家族・親族・友人関係から健康に至るまで、あらゆることに当てはまります。
言い訳はやめて、自分の人生に責任を持つ、それが人生で最も大切なことと言えます。

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2017年8月12日 (土)

私がこの世に生れてきたのは

わたしは無駄に
この世に生れてきたのではない。
また人間として生れてきたからには
無駄にこの世を過したくはない。
私がこの世に生れてきたのは
私でなければできない仕事が
何か一つこの世にあるからなのだ。
それが社会的に高いか低いか
そんなことは問題ではない。
その仕事が何であるかを見つけ、
そのために精一杯の魂を打ち込んでゆくところに
人間として生れてきた
意義と生きてゆく
よろこびがあるのだ。
 <相田みつを>

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主役となるか被害者となるか

 【主役となるか被害者となるか】 マーク・レクラウさん
あなたの人生の責任を負っているのは、ほかならぬあなた自身だ。
上司、配偶者、親、友人、知人、顧客、景気、天気ではない。
自分の人生で起こることについて他人を責めるのをやめると、すべてが変わる。
自分の人生に責任を持つということは、人生の主導権を握って「主役」になるということだ。
あなたは「被害者」になるのではなく、主役として境遇を自らつくり出すか、少なくとも自分が状況にどのように対処するかを決定する力を得ることができる。

重要なのは、人生で何が起こるかではなく、自分がどんな心の姿勢を持つかだ。
心の姿勢は自分で選ぶことができる。
もし自分の状況を他人のせいにするなら、
自分の人生を好転させるためには、他人を変えなければならないという理屈になる。
だが、他人を変えることはまず不可能である。

一方、もしあなたが主役なら、自分の人生の中で好きではないことを変える力を持っている。
あなたは自分の思考、感情、行動をコントロールすることができる。
もし結果が気に入らないなら、自分の思考、感情、行動を変えればいいのだ。

責任に対する考え方→他人や環境のせいにする(被害者)→自分が責任を持つ(主役)
現状に対する姿勢→言い訳をして正当化する(被害者)→たえず改善に努める(主役)
変化に対する姿勢→何も変えようとしない(被害者)→率先して変化を起こす(主役)
焦点をあてる対象→問題に焦点をあてる(被害者)→解決策に焦点をあてる(主役)
運に対する考え方→幸運に恵まれるように祈る(被害者)→自分で幸運をつくり出す(主役)

被害者は人生でうまくいかないことをすべて他人や環境のせいにする。
しかし、そんな姿勢ではいつまでたっても問題を解決することができない。
たとえば、交通事情のせいで遅刻しがちだと思い込むと、あなたはいつまでも遅刻しがちになる。
これは被害者の行動パターンだ。

しかし、主役になって人生の主導権を握りたいなら、早めに家を出ればいい。
そうすれば、問題はすんなり解決する。
被害者意識を持っている人は、自分の人生の責任を他人になすりつけて自分を正当化する。
一方、主役はつねに自分の人生に責任を持ち、過去の経験から学び、
たえず改善に努め、理想を追求する。
大切なのは、あなたがどちらを選ぶかということだ。
 『習慣を変えれば人生が変わる』 ディスカヴァー

「人生の悲喜こもごもさまざまな出来事は、実はすべて必要で必然です」(船井幸雄)
人生に起こるすべてのことが、必要で必然である、と深く思ったとき、自分の人生の主役となれる。
しかし、人生に起こるすべてのことが、理不尽で、納得いかない、と思ったとき、被害者となる。

よく、人生は「舞台」だと言われる。
自分が脚本を書き、なおかつ、自分が主役となってそれを演じる。
自分で脚本を書いているのだから、筋書きに文句は言えない。
つまり、人生を、不平不満やグチ・泣き言の多い「悲劇」にするのか、
楽しくて、幸せいっぱいで、大笑いの「喜劇」にするのかは自分が決めている。

結局、何でも他人のせいにする人は、自分が変わろうとしない人。
自分を正当化しようとするから、他人のせいにする。
たった一度しかない人生…
被害者ではなく、主役として精一杯楽しみたい。

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2017年8月11日 (金)

ステップ・バイ・ステップ

ステップ・バイ・ステップ
どんなことでも、
何かを達成する場合にとるべき方法はただひとつ
一歩ずつ着実に立ち向かうことだ。
これ以外に方法はない。
マイケル・ジョーダン

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前向きな解釈、

怒られた→腹が立つ or 有難い
断られた→落ち込む or 力が出る
笑われた→恥ずかしい or バネになる
無視された→キレる or 成長のチャンス
結果が出ない→諦める or 改善のチャンス..
問題が起きた→なんで自分が or 良くなるチャンス

出来事は1つだが『感じ方』は無限にある。
感じ方は人によって違う「のではなく」
『四六時中、頭の中が何でいっぱいか』
によって変わる。

感謝、夢、貢献、成長、責任感で頭が一杯な時
自己否定感、被害者感、義務感で頭が一杯な時
全く違う感じ方をする。

どうしてもうまくいかない時は
あえて前向きな解釈をいくつか探してみる。
すると、うまく行きだす。

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2017年8月10日 (木)

非があれば直ちに改める

いくら厳しい規則を作って、
家臣に強制しても、
大将がわがままな振る舞いを
していたのでは、
規則などあってなきがごとしである。
人に規則を守らせるには、
まず自身の言動を反省し、
非があれば直ちに改める姿勢を
強く持たねばならない。
ー武田 信玄ー

管理人は、どうしても自分を棚に上げたがるので、
この言葉を忘れないよう、いつも自分に言い聞かせる。
が、できてない時ほど、知らないフリをしてしまう。
さらにさらに精進あるのみ。

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人と違うことをすることを恐れない

 

【人と違うことをすることを恐れない】 心臓血管外科医、天野篤さん
天皇陛下の心臓手術は東京大学と順天堂大学の合同チームにより行われた、
「異例のケース」といわれた。
その手術を執刀して以来、私の生い立ちや、これまでの歩みをたくさんの記事にしていただいた。
過分なおほめの言葉も頂戴し、テレビでも、「天野篤」というひとりの医師が、
どのようにして陛下の手術に携わるようになったのかを幾度も紹介していただいた。

そこでの「人となり」を数行に要約すると、天野篤という人間はだいたい次のようなことになる。
「落ちこぼれだった高校生が、心臓病で父親を助けようと医師を志し、三浪して日大の医学部に入った。
やがて心臓外科医になるが、自分も立ち会った3度目の手術で父親を失う。
自分にもっと力があればと、一念発起し、ひたすら腕を磨いていき、
6000例を超える心臓手術を行うまでになった」

三浪という不名誉なことも含めて、たしかに事実はそのとおりだ。
今は順天堂大学医学部の心臓血管外科教授というポジションに押し上げていただいたが、
もともとは出身大学の医局にも属さずに、一匹狼ともいえるような道のりを歩いてきたノンエリートだ。
ここに私の原点がある。
生来、人と同じことをするのが嫌いな反骨精神もある。
だが、30年医者をやってきて、本音でいいたい思いもある。

たとえば、受験難関校から旧帝大医学部に合格した秀才だけが医師になって本当によいのだろうか?
手術するのは学者ではない。
組織で偉くなる人でもない。
今後の医療現場では、かつての医師と現代の医師とでは求められる力が違うということもある。
最先端の医療現場では、医師が「ダヴィンチ」という手術支援ロボットを操作して、
出血の少ない外科手術を行う時代にもなった。
つまり、小さい頃からコンピーターゲームの得意だった子が、優秀な外科医になりうる時代になっている

私のように、小さい頃、プラモデル作りが得意だった子どもが患者さんのために役立つような時代だ。
プラモデルでは、部品のはがし方だって相当に集中してやった。
ひとつひとつの部品は、ニッパーできれいにはがさないとうまく仕上がらない。
1個部品を壊すだけで台無しになり、後戻りしなければならない。
そういうことが、熱中してきたことを通じてわかる。
だから、若い人のいろいろな経験を否定しないことが大切だ。

お母さんが我が子に、「ゲームばっかりして」と怒ることもあるだろうが、私は否定してはいけないと思う。
「ダヴィンチ」以上の手術支援機器が登場してくると、
その技術的な進歩が、これまでの不可能を可能にするきっかけになったりする。

実際、医学部で教授という立場で、医師を育てるという側に立つと、
弾力性ある若い力を、そのまましなやかに伸ばすには、どうしたらいいのかと、日々考えさせられる。
次世代のそれぞれの「思い」をどのように磨いていき、未来を切り拓(ひら)いていくのか…
これからサポートしたいことでもある。
 『熱く生きる』 セブン&アイ出版

「禍福(かふく)は糾(あざな)える縄(なわ)の如(ごと)し」ということわざがある。
災いと幸福はまるで、より合わせた縄のように、かわるがわるやってくる、という意味。
失敗だと思っていたことが、成功する原因になったり、
子どものころの無駄だと思っていた経験が、大人になって役に立つ、というようなことは多い。

これからの世の中はすさまじい勢いで変化する。
今までの技術が一瞬にして役に立たなくなるような、新技術も登場するだろう。
大事なことは、これからは、暗記したり、
それを再生するというようなデジカメ的能力はまちがいなく必要なくなってくるということだ。
つまりたとえば、受験勉強で必要な記憶再生能力のようなこと。
現在は、それがスマホ一つでこと足りるからだ。

みんながやるから、自分もやる、というような生き方では、確実に取り残される。
人と違うことをすることを恐れない人でありたい。


2017年8月 9日 (水)

あなたはどうしたいのですか?

「私は今どうすれば良いですか?」
「この先どうすれば良いですか?」
「私にどうしろと言うのですか?」

「あなたが今後どうしたいかで
その答えは無限に存在します。
どうしたいのか方向すら定めずに
良い方法や道などありえません。
先ずはゴールと方向性を決めましょう。
あなたはどうしたいのですか?
何をどのようにしたいのですか?」

どうしても答えが出ない時、
先ずは大切なことを大切にして生きる。
出来た道を振り返ると自ずと先が見えてくる。

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鳶職の父

 「鳶職の父」
公用でM高校へ出かけたある日のことだった。
校長先生が、私達を呼び止められて、
「時間がありましたら、お見せしたいものがありますので、校長室までお越しください」
と言われ、校長室に案内された。
「実はある生徒の作文ですが・・」
とA少年の経歴を話しながら、作文を朗読された。
「僕の父親の職業は鳶職である・・・」という書き出しから始まり、
内容はおよそ次の様なことが書かれている。

父親の休日は定まっていなかった。
雨の日以外は日曜日も祭日もなく、
お定まりの作業服に汚れた古いオンボロ車を運転して仕事に出かける
仕事が終わると頭から足の先まで、泥や埃で真っ黒くなって帰り、
庭先で衣服を脱ぎ捨てて、褌ひとつになって風呂に飛び込むのが日課である。
僕の友達がいても平気で、そんな父の姿が恥ずかしく、嫌いだった。
小学校の頃、近所の友達は日曜日になると決まって両親に連れられて買い物や、
食事に出かけて行き、僕は羨ましく思いながら見送ったものだ。
(みんな立派な父さんがいていいなぁ)と涙が流れたこともあった。

たまの休みは、朝から焼酎を飲みながらテレビの前に座っていた。
母は『掃除の邪魔だからどいてよ』と掃除機で追っ払う。
『そんな邪魔にすんなよ』父は逆らうでもなく焼酎瓶片手にウロウロしている。
『濡れ落ち葉という言葉は、あんたにピッタリね・・この粗大ゴミ!』
『なるほど俺にそっくりかハハハ・・うまいことをいうなハハハ・・』と、
父は受け流して怒ろうともせずゲラゲラ笑っている。
小学校の頃から、小遣いをくれるのも母だったし、買い物も母が連れて行ってくれた。
運動会も発表会も父が来たことなど一度もない。
こんな父親などいてもいなくってもかまわないと思ったりした。

ある日、名古屋へ遊びに出かけた。
ふと気づくと高層ビルの建築現場に『○○建設会社』と父親の会社の文字が目に入った。
僕は足を止めてしばらく眺めるともなく見ていて驚いた。
8階の最高層に近いあたりに、命綱を体に縛り、懸命に働いている父親の姿を発見したのです。
僕は金縛りにあったようにその場に立ちすくんでしまった。
(あの飲み助の親父が、あんな危険なところで仕事をしている。
一つ違えば下は地獄だ。
女房や子供に粗大ゴミとか、濡れ落ち葉と馬鹿にされながらも、
怒りもせず、ヘラヘラ笑って返すあの父が・・・)
僕は体が震えてきた。
8階で働いている米粒ほどにしか見えない父親の姿が、仁王さんのような巨像に見えてきた」
校長は少し涙声で読み続けた。

「僕はなんという不潔な心で自分の父を見ていたのか。
母は父の仕事振りを見たことがあるのだろうか。
一度でも見ていれば、濡れ落ち葉なんて言えるはずがない。
僕は不覚にも涙がポロポロ頬を伝わった。
体を張って、命をかけて僕らを育ててくれる。
何一つ文句らしいことも言わず、焼酎だけをたのしみに黙々働く父の偉大さ。
どこの誰よりも男らしい父の子供であったことを誇りに思う」
そして彼は最後にこう書き結んでいる。

「一生懸命勉強して、一流の学校に入学し、一流の企業に就職して、
日曜祭日には女房子供を連れて、一流レストランで食事をするのが夢だったが、
今日限りこんな夢は捨てる。
これからは、親父のように、汗と泥にまみれて、自分の腕で、自分の体でぶつかって行ける、
そして黙して語らぬ父親の生き様こそ本当の男の生き方であり、僕も親父の跡を継ぐんだ」と。
読み終わった校長は、
「この学校にこんな素晴らしい生徒がいたことをとても嬉しく思います。
こういう考え方を自分で判断することが教育の根本だと思います。
そして子の親としてつくづく考えさせられました」としみじみ言った。
差し出されたお茶はとっくに冷えていたが、とっても温かくおいしかった。

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2017年8月 8日 (火)

幸福の定義

幸福のこんな定義を
聞いたことがあります。
「幸福とは、
健康と物忘れの早さである」
ですって!
わたしが思いつきたかったくらいだわ。
だって、それは真実だもの。
 - オードリー・ヘップバーン -

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運がいいと思っている人は、実際に運に恵まれる

 「運がいいと思っている人は、実際に運に恵まれる」
魔法を使うのに、ステッキも、不思議なシルクハットも必要ない。
イギリスのハートフォードシャー大学で心理学を教えるリチャード・ワイズマン教授は、
何百人もの、自称「とてもツイている」人と、
自称「とことんツイていない」人を八年かけて研究した結果、次の発見をした。

自分は運がいいと思っている人は、実際に運に恵まれるという。
運に恵まれるのは、カルマのせいでもないし、神様のいたずらのせいでもない。
自分で自分をどう思うかで決まっているのだ。
運気を上げる第一歩は、自分はツイていると信じることだ。

ワイズマン教授が設立した「運の学校」では、生徒は「私はツイている」と公式に宣言することを求められる
だからあなたも、自分はツイていると認めることから始めよう。
今日という日は、これまでの人生で最高の日になるかもしれない。
  「感謝」で思考は現実になる パム・グラウト 著 桜田 直美 訳 サンマーク出版
_______

以前読んだ、雀鬼“桜井 章一”さんの著書に、「3つのタイプの人」の話がありました。
人間には3つのタイプがいるそうで、
「何も楽しめない人」「自分だけ楽しむ人」「まわりにも楽しみを与えられる人」とあります。
そして、もっとも運を招くのは、「まわりにも楽しみを与えられる人」のようです。
そう、運を良くしたかったら、
「まわりの人を楽しませること」「人に好かれること」「人を喜ばせること」ということです。
だから、自分が言われて嬉しい言葉を人に言うようにして、自分が言われて嫌な言葉は人にも言わない
なぜなら、「運」というものは勝手にやって来るものではありません。

運というのは“人が運んでくる”もの。
運ばれるから“運”
いい運も、悪い運も・・・。

人に嫌われているのに「運がいい人」はあまりいません。
運を味方にするとは、周りの人を味方にするのと同じです。
そして、「笑う門には福来る」という言葉があるように、まわりの人を笑顔にできる明るい人は、
常に前向きで、いろんなことに積極的に取り組む。
そして、何もないところに「楽しさ」を見つけられるのです。
「楽しい」のアンテナが立ってます
「毎日がつまらない」と言っている人は、
その時点で「楽しい」アンテナが圏外になっているので「楽しい」は見つかりません。
電源オフ状態です。

日常の些細なことであっても、人生を楽しくするコツはたくさんあります。
子供たちは何もない公園や家でも、キャッキャと笑い転げるぐらい楽しめます。
「楽しい」にアンテナを立て、自分は運がいいと信じ切ったら、間違いなく運の神様は微笑むでしょうね




2017年8月 7日 (月)

後で後でが命取り

  『後で後でが命取り』
後で後でと、面倒な仕事を先に延ばしてはいないか。
延ばしているかぎり、いつになろうと仕事は終わらないし、
その間にまわりの環境は刻々と変わっていく。
延ばせば延ばすほど達成が難しくなり、
ついにはとりかえしのつかない失敗をも招きかねない。
今できる仕事は決して後に延ばさない、
そんな気持ちで仕事に取り組みたい。
  「松下幸之助 成功 日めくり」より

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相談なのか、愚痴なのか

 【相談なのか、愚痴なのか】 小林正観さん
目の前の現象を自分の思い通りにできないことが「悩み」だと思っている人が大多数でしょう。
自分が向き合っている現象に対して思い通りにならない、
つらい、悲しい、という感想を言っているわけですが、実は現象は「ゼロ」。
幸も不幸も、そう思う心があるだけ。
自分の“思い”をなくせば「悩み」は消えてなくなります。

雨が降ったときは、洗濯物が乾かなくて困る、
晴れたら、紫外線対策をしなくちゃいけない、というふうに考えていた方がいらっしゃいました。
それが、私の話を聞いて、雨が降ったら紫外線対策をしなくてよい、
晴れたら洗濯物が良く乾く、と思えるようになった、と言ってくださったことがあります。
結局私たちは、「ゼロ」の現象を、自分の感覚で感想を言いながら、評価論評しながら、
気に入らないと言っているだけです。

その基本的なとらえ方のフロッピーを入れ替えないかぎりは、人生はつらいことばかりですよ、
という事実に唯物論として気がついたのです。
これは観念論の話ではなくて、そうなっていますよねという話です。
現象は「中立」なのだから、それ肯定的にとらえよう、というだけのことです。

中には、「肯定的なとらえ方ばかりなんて簡単にはできないですよ」という人がいるのですが、
それはもはや相談じゃなくて、からんでいるだけ。
そういう方には私はいつもニッと笑って
「べつに、私はお願いに来ているわけではありませんから」とお答えします。
相手を変えようとか、自分の目の前の現象を変えようとか思っているうちは、問題は解決しません。
宇宙にはもともと問題は無いからです。
問題は無いのに「私」が問題だ問題だと言っているだけなのかもしれません。

いろんな問題をかかえていて、こんな職場の人に囲まれていて、上司が厳しい人で怒って怒鳴って…
どうしたらいいんでしょうっていう質問をよくされるのですが、私の答えは「だから何?」。
「辞めたいんですか?」と聞くと、
「いいえ辞めたいわけじゃないんです」
「辞めたくないっていうことは勤めていたいんですね」
「勤めていたいんですけど上司がこんな人で…」
「じゃ辞めたいんですね?」
「いや、辞めたくはないんですけどひどい人ばかりで…」
「だから何?」

結局、辞めたくないんだったら文句を言わないでやればいい。
辞めるんだったら文句を言わないで辞めればいい。
どちらかです。
どちらにしても、文句を言っていること自体がいちばん問題なのです。

愚痴を言って泣き言を言って宇宙に不平不満を投げかけていることが、結局は自分にとってものすごく損
投げかけたものは返ってくるので、辞める辞めないよりもそっちの方が重要な意味を持ちます。

好ましいものに囲まれていない、という人は、
自分が投げかけたものが好ましいものじゃなかったということです。
いい思いをしたい、お金を儲けたい、ということばかり考えている人は、何も投げかけていません。
むしろエゴという名のエネルギーを投げかけている。
だからエゴのかたまりに囲まれることになるのです。

喜ばれるように生きていくと、喜びに囲まれるようになる。
かんたんな構造です。
自分の人生が楽しいほうへ展開していかない、と言う人は、
楽しいものを投げかけていないからかもしれません。
だからイヤイヤやっている仕事はダメ。
イヤイヤしか返ってきません。
楽しくやっている仕事は、はじめは収入が少なくても、
そのうち必ず楽しくてしょうがないような状況に囲まれるようになります。
好きでやっているのだったら寝食を忘れてやっていられるのだから、
膨大(ぼうだい)に投げかけることができる。
そして将来、膨大に返ってきます。

迷っていることがあって相談に来ているのか、愚痴、泣き言、悪口を言いに来ているのか、
をちゃんと分けたほうがいいのです。
で、不平不満、愚痴・泣き言・悪口・文句・恨(うら)み言葉・呪(のろ)い言葉を言いたいのだったら
そういう仲間を見つけて言い合えば良い。
しかし、言えば言うだけまたその言葉を言いたくなるような現象が降って来ます。
  『楽しい人生を生きる宇宙法則』  講談社

「相談したい」といって来て、「愚痴や泣き言」をいって帰る人は多い。
また、「自分が動きたくない理由」、「変わりたくないわけ」を延々と話す人もいる。
結局は、「自分は動かない(変わりたくない)が、まわりに変わってもらいたい」、と言っている。

正観さんは、「幸も不幸もない」という。
あるのは現象だけで、それをどう捉(とら)えるかという「見方」や「考え方」があるだけ。
お金がたくさんあっても不幸な人はいるし、病気であっても幸せな人はいる。

あくまでも、見るのは自分で、動くのも自分。
他人が見てくれたり、動いてくれるわけではない。
お腹が減ったとき、誰かにかわりに食べてもらうわけにもいかない。

目の前の現象を変えようとしないということは、
「起こることは、すべては必然、すべては必要」と「現状肯定」をすること。
文句や愚痴を言っても、目の前の現象は何も変わらない。

喜ばれるように生きる人生でありたい。


2017年8月 6日 (日)

過去を悔やむ時間があるなら

過去を悔やむ時間があるなら、
これからどうするか
考えるのにその時間を使うべき。


どんなに後悔したって
過去は変えられない。

でも、未来の可能性は無限で、
泣くも笑うも
全ては今の自分次第なんだから。

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何も無い人生訓

 【何も無い人生訓】
おうかがいしたい
あなたは何ができるか..

何を持っているか
ずば抜けた才能があるか
一流の教養が身に付いているか
学者に負けない知識があるか
一生遊んでいても困らない財産があるか
無い、私には何も無い
しかし、
これが何も無い人間にのみ闘える最強の条件だ


1、金が無いから…身体を張って汗を流し
2、人脈が無いから…大きい声で存在を主張して
3、信用が無いから…時間と金銭の約束を護り
4、頭が無いから…本を読み、人の意見を聞き
5、根性が無いから…逃げ道をふさいで前だけを見て歩き
6、イヤなことを言ってくれる人を…信頼し、師と仰ぎ
7、私を褒めてくれる人を…特に警戒し
8、今は何も無いが…何も無いことを最高の武器として闘う
   引用元:(奇跡の言葉「何も無い人生訓」)

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2017年8月 5日 (土)

愛するとは

愛するとは、
何べんも何べんも..

ゆるすこと。
 - 三浦綾子 -

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蓮の花

蓮の花というのは大変に霊格が高いものであるらしいのです。
私自身、蓮の花に興味があって10年ほど観察を続けていますが、
蓮の花は泥水が濃ければ濃いほど、つまり汚れていればいるほど大輪の花として咲きます。
水が真水に近ければ近いほど、きれいであればあるほど、蓮の花は小さくしか咲かないように思います

つまり、人間の苦しみ・苦悩・煩悩という泥水によって、蓮の花(これは悟りのことなのでしょうが、
大きな悟り)が得られるということを示しているのに違いありません。
蓮の花は、それゆえに泥水の中から立ち上がってくる。
その花を見て、人々は勇気づけられ、力を得るのです。
そのために蓮の花は存在しているのかもしれません。

人を勇気づけ、どろどろ、ぐちゃぐちゃになった状態でもいい、そこから立ち上がってくること、
その悩み苦しみ・苦悩・煩悩が濃ければ濃いほど、泥水が濃ければ濃いほど、
美しく大きな花を咲かせるということを宇宙は示したいのかもしれないのです。
 生きる大事 死ぬ大事 小林正観 著 イースト・プレス
_______

蓮の花は、水が汚れているほど美しく大きな花を咲かせる。
人間も、苦労を重ねてきた人や、中々報われない人、もがいて苦しんでいる人、
大きな悲しみを背負った人などがやがて、大輪の花を咲かせているのではないでしょうか。
キレイな水、つまりキレイな環境で何不自由なく育ててもらって、
障がいや苦労を親が取り除いて育ったとして、その花が力強く咲くとは思えません。
親や上司の役目は、困難や障がいに挑む勇気づけをすることです。
“相田みつを”さんの「いのちの根」という詩をご紹介させていただきます。

「なみだをこらえて
かなしみにたえるとき
ぐちをいわずに
くるしみにたえるとき
いいわけをしないで
だまって批判にたえるとき
いかりをおさえて
じっと屈辱にたえるとき
あなたの眼のいろが
ふかくなり
いのちの根がふかくなる」

そうやって人は成長していくのでしょう。
今が泥水の中だと思うのであれば、それはまさに成長に欠かせないものに触れているということです。
大輪の花を咲かせ、いのちの根がふかくなるときですね

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2017年8月 4日 (金)

鏡は先に笑わない

伴侶が
親が
子どもが
上司が
部下が
社員が
友人が

優しくしてくれない
話を聴いてくれない
仲良くしてくれない
動こうとしてくれない
態度を変えてくれない
素直になってくれない

もっと関係を良くしたい
だから自分からやってみる


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幸せは思い通りにいかない中にある

 「幸せは思い通りにいかない中にある」  菅野直基 (出前牧師カンちゃん)

思い通りに行かないと、「コレさえなければ幸せなのに!?」と考えてしまうことはないでしょうか。
「この人さえいなければ!?」「この夫(妻)さえいなければ!?」「この病気さえなければ!?」
「この借金さえなければ!?」「あの上司さえいなければ!?」
でも、そう考えている限り、幸せはいつまでたってもあなたのもとには来ません。

モーリス・メーテルリンク(Maurice Maeterlinck, 1862-1949)作の「青い鳥」は、
2人の兄弟であるチルチルとミチルが、幸せの象徴である青い鳥を探しに行くけれど、
青い鳥はどこか遠くではなく、最も手近なところにいたというお話です。
本当の幸せは、思い通りに人生がいくところにあるのではなく、「コレさえなければ!?」という、
悲しみやつらい経験の中で「すばらしい何か」を見つけ出して行くことにあるのではないでしょうか。

思い通りにいかないできごとは、それを拒絶するためにあるのではなく、
それを受け入れるためにあるのです。そこに青い鳥が隠れているからです。
だから、もう、「コレさえなければ!?」と思わないで、
「コレ」と共に生きていく人生を選び取っていきましょう。

聖書は、「曲がっていないものを、まっすぐにはできない。なくなっているものを、数えることはできない。」
伝道者の書1:15)と語ります。

曲がっているものを、「まっすぐであればいいのに!?」と考えたり、なくなったものを数えて
「ないものねだり」をするのではなく、現状を受け入れ、感謝することです。
現状が完全ではないからこそ、理想を追い求め、希望を持ち、夢を追いかけて行くのです。
その人生のプロセスの中に幸せの青い鳥と出会えるはずです。
青い鳥は、あなたの最も近くにいるかも知れません。
良い一日でありますように。

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2017年8月 3日 (木)

弁解と言いわけ

けれど」「でも」「だって」「しかし」「ですが」「どうせ」「そうは言っても」
「それは解ってるけど」「だからと言って」「そうは言いますが」
...
これらを口にしてる人がいても、自分はもう言わないようにする。
「けれど……」の次にくる言葉は必ず弁解と言いわけだ。
それはやれなかった理由ではなくて、「やらなかった弁解」だ。
自分がやらなかったことを、
「なんとか、やれなかったことにするため」の体裁の良い言いわけだ。
 ー 相田みつを

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母を誇りに笑い一筋

◆ 母を誇りに笑い一筋、右耳は聞こえなくても… ◆
13歳の夏、右耳を激痛が襲った。
耳の奥からは異臭を放つ膿(うみ)があふれ出ていた。
診断結果は「真珠腫(しゅ)性中耳炎」。
中耳炎を繰り返すうちに組織の一部が真珠のように増殖し、耳の周りの骨を破壊する病気だ。
手術で患部を除去。
足の皮膚を移植して鼓膜の形成手術もしたが、聴力は戻らなかった。

滝川広志さん(49)の右耳は、今もほとんど聞こえない。
周囲に打ち明けると、誰もが「うそでしょう?」と驚く。
難聴のハンディを全く感じさせないからだ。
「広志君、右耳がだめでも左耳がある。 何とかなるよ」。
そう笑い飛ばした母の強さと優しさに支えられた。

熊本市で生まれた。
幼いころに両親が離婚。
病院の看護助手をしていた母と1歳上の姉の3人家族。
生活は苦しかった。
普段の食事はご飯とおかず1品。
月に1度、80円のラーメンがごちそうだった。
「貧しかったけど、それが普通だと思っていたし、不幸だとも思わなかった」
ただ、子どもなりに家にお金がないことは分かった。
小学生のころから自覚症状があった中耳炎を放置したのも、
母にお金のことで心配をかけたくなかったからだ。

右耳の手術後、新聞配達を始めた。
母を助けることができるし、欲しいものを買うこともできる。
初めは夕刊を配り、やがて朝3時に家を出て朝刊も配った。
幼いころから中古の白黒テレビが姉弟の宝物だった。
声が筒抜けの2軒長屋。
音量を絞り、テレビにかじりついた。
「サインはV」「柔道一直線」「8時だョ!全員集合」…。
歌番組では振り付きで歌手をまねし、姉と批評し合った。
ドラマでは動きに合わせて勝手にせりふを重ねる「当てレコ」に興じた。
はまったときは2人で笑い転げた。

そんなテレビ遊びから生まれた「ものまね」が、目立たない存在だった姉弟を変えた。
中学校の教室。人前でものまねをする快感を知った。
姉がまず人気者になり、広志さんも続いた。
「滝ちゃん、よか」「よかばい」。
教室で、近所のスナックで喝采(かっさい)を浴びた。
歌を覚えるにも、不自由さは感じなかった。
右耳が聞こえない分、左耳に意識を集中し、目で観察した。
「難聴がものまねには 良かったのかもしれないですね」。
母譲りの楽天的な性格が、その後の人生も切り開いてゆく。

広志さんは今年、芸能生活30周年を迎えた。
芸名は「コロッケ」。
3月には「長年の夢だった」という博多座(福岡市)の舞台に立つ。
人情喜劇とものまね歌謡ショーの1カ月座長公演。
「あきらめなかったからここまで来れた。
 ようやく九州出身の芸人として 故郷に認めてもらったような気がします」

滝川家の家訓は「あおいくま」。
焦るな、おこるな、威張るな、腐るな、負けるな-の頭文字だ。
幼いころ母が部屋に張り出した教えを胸に、謙虚に芸を磨く。
  出典元:2010/01/28付 西日本新聞朝刊

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2017年8月 2日 (水)

楽しそうにする

『楽しそうにする』
楽しそうに聞いて

楽しそうに話して
楽しそうに遊んで
楽しそうに仕事をして
楽しそうに生きて
楽しいと思えば思うほど
楽しくて仕方がなくなり
楽しいことを引き寄せる

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言葉にはエネルギーがある

 【言葉にはエネルギーがある】 江原啓之さん
口を開けば不平や不満、人の批判や悪口ばかり。
こうした人が幸せになることはありません。
インターネットなどで無責任な誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)を書き込む人も目立ちますが、
バッシングをして憂(う)さを晴らしているつもりでいるとしたら大間違いです。

陰陽師(おんみょうじ)が人を呪い殺すときに、墓穴を二つ用意していたというのは有名な話。
自分の行いは、ブーメランのように自分のところへ戻ってくるという意味の
「因果の法則」を理解していたのでしょう。
日本には昔から「罰当たり」という言葉もあります。

言葉にはエネルギーがあるのです。
たとえば「いってらっしゃい」には相手を守るパワーが「おかえりなさい」には相手を癒すパワーがあります
逆にネガティブな言葉を発すれば、相手を傷つけるだけでなく、自分の波長を低めることにつながります
「どうでもいい」といった投げやりな言葉が口癖だという人も用心が必要です。

言葉はあなたの思いの表れ。
発する言葉が今のあなた自身を如実に表しているのです。
その言葉はいずれ行動となります。
そして、その行動すべてが自分自身に返ってくるのです。

幸せとなって返ってくるのか、それとも不幸となって返ってくるのか。
言葉は人を不幸にもすれば、幸せへと導いてもくれるのです。
 『幸せになる100か条』 徳間書店

「人を呪わば穴二つ」という言葉がある。
他人を呪い殺せば、呪った人もやがて相手の恨みを受けて呪い殺され、
相手と自分とで墓穴が二つ必要になる、ということ。

インターネットなどでは匿名(とくめい)でひどい書き込みをする人がいる。
匿名だから分からないだろうと思って書いているが、それはやがて必ずその報いを受けることになる。
なぜなら、自分の口に一番近いのは他人の耳ではなく、自分の耳だからだ。
自分の発した言葉は、自分が一番多く聞いている。
そして、一番影響を多く受ける。

『因果応報』
自分が蒔(ま)いた種は自分が刈り取らなければならない。
「言葉にはエネルギーがある」
いい言葉を発したい。


2017年8月 1日 (火)

言葉の裏は深い

飽きやすい人ほど物事にはまりやすく、
せっかちな人ほど時間を大切にしようとし、
喜びやすい人ほど感受性豊かで、
泣きやすい人ほど心が優しく、
笑いやすい人ほど緊張しやすくて、
怒られやすい人ほど失敗を恐れず、

疎まれやすい人ほど積極的であり、
嫉妬しやすい人ほど人を愛しすぎる。
言葉の裏は深いですね

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命の器

運の悪い人は、運の悪い人と出会ってつながり合っていく。
へんくつな人は、へんくつな人と親しんでいく。

心根の清らかな人は、心根の清らかな人と、
山師は山師と出会い、そしてつながり合っていく。
実に不思議なことだと思う。
「類は友を呼ぶ」ということわざが含んでいるものより、
もっと奥深い法則が、
人と人の出会いをつくりだしているとしか思えない。

どうしてあんな品の悪い、いやらしい男のもとに、
あんな人の良さそうな、美しい女が嫁いだのだろうと、
首をかしげたくなるような夫婦がいる。
しかし、そんなカップルをじっくり観察していると、
やがて、ああ、なるほど と気づくときがくる。
彼と彼女は、目に見えぬその人間としての基底部に、
同じものを有しているのである。
それは性癖であったり、
仏教的な言葉を使えば、宿命とか宿業であったりする。

それは事業家にもいえる。
伸びていく人は、たとえどんなに仲がよくとも、
知らず知らずのうちに、落ちていく人と疎遠になり、
いつのまにか、自分と同じ伸びていく人とまじわっていく。
不思議としか言いようがない。
企んでそうなるのではなく、知らぬ間に、そのようになってしまうのである。

最近、やっとこの人間世界に存在する数ある法則の中のひとつに気づいた。
「出会い」とは、決して偶然ではないのだ。
でなければどうして、「出会い」が、ひとりの人間の転機と成り得よう。

私の言うことが嘘だと思う人は、自分という人間を徹底的に分析し、
自分の妻を、あるいは自分の友人を、徹底的に分析してみるといい。
「出会い」が断じて偶然ではなかったことに気づくだろう。
 (『命の器』宮本輝著より一部要約して引用)

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