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2013年3月の77件の記事

2013年3月31日 (日)

折れないこころ

どこまでも強い自分を誇示したところで、

ポキンと折れてしまえば

自分の弱さを認めるしかなくなります。

結局、同じことです。

ポキンと折れる前に、弱さを認めることができれば、

ほんものの「折れないこころ」をつくることができるはず。

 (by 和田秀樹)

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思っている世界が出現する

  「思っている世界が出現する」


人を「笑わせよう」としている人は、日々、どうすれば人が笑えるかを考えている。

だから、自分が「楽しい」「おもしろい」と感じるものに意識を向けている。


人を「幸せにしよう」としている人は、日々、どうすれば人が幸せになれるかを考えている。

だから、自分が「幸せだ」と感じるものに意識を向けている。


人を「困らせよう」としている人は、日々、どうすれば人が困るかを考えている。

だから、自分が「困る」と感じることに意識を向けている。


人を「悲しませよう」としている人は、日々、どうすれば人が悲しむのかを考えている。

だから、自分が「悲しい」と感じることに意識を向けている。


人を「痛い目にあわせよう」としている人は、

日々、どうすれば人が苦悩するかを考えている。

だから、自分が「つらい」と感じることに意識を向けている。


同じ世界に住んでいても、人が見ている世界は別のものだ。

だから、ほら、あなたの「思っている」世界が、そこに「そのまま」あるじゃないか。

   「人の心に灯をともす」より


人を喜ばせようとしている人は、人を喜ばせることに興味や関心がある。

喜びにフォーカスしている人は、笑いや、笑顔や、明るい話題ばかりを集める。


債権取立て屋の新人育成法というのがあるそうだ。

それは一日中、テレビに向かって、ニュースであろうが天気予報であろうが、

相手が何を言っても、それに悪態をつき、イチャモンをつける、という訓練。

つまり、怒り、文句、非難、脅し、という暗い世界にフォーカスする。


「同じ世界に住んでいても、人が見ている世界は別のもの」

自分の思っている通りの世界がこの世に出現する。

どんなときも、

楽しい、おもしろいという明るい面を見るようにして、幸せを引き寄せたい。




2013年3月30日 (土)

決定するには

  「決定するには」

反対論がない場合には、結論を出してはならない。

勇気と勉強に不足があれば、反対論は出ない。

決定のためには、いろいろな案がなくてはならない。

ただし、可・否二案だけでは不足だ。

決定しないという決定もあることを、忘れない方がいい。

 (ピーター・ドラッカー)




天は一物を与える

    【天は一物を与える】
この世に100パーセントの不幸というものはない。
50パーセントの不幸はあるけれども、反面そこに50パーセントの幸せがあるわけだ。
人間はそれに気がつかなければいけない。
とかく人間の感情というものは、うまくいけば有頂天になるが、悪くなったら悲観する。
... これは人間の一つの弱い面だが、それをなるべく少なくして、

いつの場合でもたんたんとやる。
信念を持っていつも希望を失わないでやることだ。
「天は二物を与えず」と言うが、逆に「なるほど、天は二物を与えないが、

しかし一物は与えてくれる」ということが言えると思う。
その与えられた一つのものを、大事にして育て上げることである。


(by 松下幸之助)



オウンゴール

  「オウンゴール」
 
昔知的障害をもった子がサッカー部にいてな
でも皆から邪険にされず
(それでも子どもの障害者意識みたいなものはあったけど)仲良くしてて
そいつはゴールがどっちかもわからないのにがんばってて・・・
...

ある日接戦で2-2の試合をしていたんだ
でも大切な試合じゃないし、
良い経験になるからって全員とっかえひっかえで出してたんだけど
試合の終了直前、俺がバックパスをその子にだしたのね
そしたらその子見事にオウンゴールきめちゃったわけ

敵もその子が障害者だとしってたみたいでクスクス笑ってたんで、
サッカーのことになると切れだすキャプテンが発した言葉が
「すげえよ○○!大逆転だ!!」
皆それに続いて「ナイス○○!」とか言ったりハイタッチしたりしてた

相手のポカーンとした顔とその子の嬉しそうな顔は今でも忘れられない

   「引用元:オウンゴールの泣ける話の巻より」


試合中にオウンゴールなんてしたものならすごく恨まれるかもしれない。
勝負がぎりぎりのときほどみんなピリピリして、ちょっとのことで

怒りを覚えるかもしれない。

そんな状況の中、こんなことを言えるキャプテン、チームメイトの暖かさ。
一生のうちこんな仲間に何人出会えるでしょうか。
そのためにも自分がこんなキャプテンやチームメイトのような心を持って接したい。
こんな人が一人でも多くいる世界になれば・・・



2013年3月29日 (金)

感謝して生きていく

  「 感謝して生きていく 」

人に迷惑をかけたくない
迷惑をかけずに生きる ...
というのは一面では正しいと思います
しかし、だんだん疲れてくるのに気づきます
なぜなら、人は他のものに
迷惑をかけないということなどありえないからです
とするならば
迷惑をかけている存在なのだから
その自分を支えてくれている
まわりのすべてのもに感謝して生きていくことのほうが
いいのかもしれません


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娘の結婚式

   「娘の結婚式」

1ヵ月後に挙式を控えた新婦のお母様から電話がありました。
... 「あの、バージンロードのことなんですが、
エスコート役は直前でも変更可能なのでしょうか」

事前のお打合せでは、お父さまの足がご不自由なため、
新婦の7つ年上のお兄さまがお父さまの代わりに歩かれることになっていました。

「大丈夫ですが、お兄さまのご都合が悪くなってしまったのでしょうか」
いったいどうしたのだろうと、おうかがいすると、
「娘には内緒なのですが、実は主人が歩く練習をしているんです」

「娘の結婚式が決まってからというもの、
時間がとれると『リハビリに連れて行ってくれ』と言うようになって、
それも子どもたちには内緒で」

「バージンロードを歩くために、ですか」
私は胸がいっぱいになりました。
「わかりました。ぜひ、お父さまにお願いしたいです。」

支度を終えた新婦がバージンロードの前で待機していると、
車椅子のお父さまとお母さま、そしてお兄さまがこられました。

「お兄ちゃん、よろしくね」

新婦が声をかけると、ウエディングドレス姿の妹を見つめながら、
お兄さまは黙って首を横に振りました。
「えっ、どういうこと?」

答えの代わりに、お兄さまが少しかがんでお父さまに肩をかされました。

お母さまは既に涙ぐみながら、お父さまに杖を手渡されます。

「え・・・、お父さん?」
「行くぞ」
「・・・・はい」

新婦は瞳をうるませて、お父さまの腕に手をかけました。

お父さまがエスコートするのではなく、新婦がお父さまを助けるかのように支え、
歩みを合わせているのが、こちらからもわかります。

お父さまは堂々と前を向かれ、歩みを進めていきました。
新郎の背中をぽん、と叩き「頼んだぞ」とお父さまの声が聞こえたような気がしました。

披露宴の半ば、
突然司会者がこう切り出したのです。

「本来、ここで祝電を披露させていただくのですが、
ここに一通のお手紙をお預かりしておりますので、ご披露させていただきます。
差出人は新婦のお父さまです。それでは、代読いたします。
___

しのぶへ。

私は静岡の田舎で男兄弟ばかりの中で育ったものだから、
女の子をどう育てていいのかわからず、母親に任せっきりにしていました。
運動会や学芸会もほとんど行けず、仕事ばかりしてきた父親でした。

すまないと思っています。

ただ、父親の務めであると思いながら、どんな仕事も一生懸命やってきました。
それだけは自信を持っています。

とはいっても、あなたにとってみれば、
厳しくて、門限にもうるさくて、うざったい父親だったでしょう。

でも、君がうちの娘に生まれてきてくれたこと、
本当にうれしかったんだ。
今まで言ったことなかったけど、

本当にありがとう。

今日、あなたが花嫁となって、
岡崎家の人間から梅村家の人になっていくこの日に、どうしても何かしたくて、
恥をしのんで、お母さんとリハビリをがんばった。
これで今まで何もできなかったことは許してもらえるとうれしいです。

寛くん。どうぞ、しのぶをよろしくお願いします
___

あふれ出る涙をぬぐう新婦。その横では、
新郎がお父さまに向かって頭を下げています。

会場のあちこちで、鼻をすする音が聞こえてきました。

読み終えたお父さまからの手紙をしまった司会者が、もう一通、封筒を取り出しました。

「実は、新婦からもお手紙を預かっております。続けてご披露させていただきます」

その手紙にはこんなフレーズがありました。

「・・・いつも怒ってばかりで、門限も厳しくて、
お父さんの存在が嫌になったこともたくさんありました。

でも、今は、厳しく育ててくれたことにとても感謝しています」

先ほどまで堂々とされていたお父さまも、目を真っ赤にしていらっしゃいます。
会場は感動に包まれ、温かくやさしい拍手がしばらく鳴りやみませんでした。
_______

「結婚式で本当にあった心温まる物語」
山坂大輔 著  あさ出版より

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いい習慣と悪い習慣

 【いい習慣と悪い習慣】 

佐藤富雄氏の心に響く言葉より… 


ドイツのレーゲンスブルグ大学ケンペンルマン博士らによる、マウスの実験報告がある。 

ケンペルマン博士らのグループは、標準的な飼育ケースをふたつ用意して、

一方の飼育ケースには遊具である「回し車」を入れ、

もう一方のケースには何も入れず、それぞれマウスを飼育した。

当然ながら、一方のマウスは毎日遊具で遊び、

もう一方のマウスはとくに何をするでもなく、のんびりと暮らすことになる。


そうすると、日頃から回し車で遊んでいたマウスの脳内に、驚くべき変化が見られた。

なんと、何もしなかったマウスに比べて、おそよ2倍もの

新しい神経細胞(新生ニューロン)が生まれていることが確認されたのである。


また、回し車でなくとも、飼育ケースにトンネルや階段を設置するなど、

豊かな生活環境で過ごしたマウスも、何もしなかったマウスに比べて

60%も新生ニーロンの数が増えることが確認された。


こうした研究結果から、脳を成長させる新生ニューロンは、

外からやってくる何らかの「刺激」によって、

自在に増やすことができることが明らかになってきたのである。


あなた自身の毎日はどうだろうか?

やる気も活力もなく、何年も単調なマンネリ生活が続くと、

どうしても脳に入ってくる「刺激」は減っていく。


これは、遊び道具の入っていない飼育ケースで育つマウスのようなものだ。

しかし、どんな年齢になっても、脳に「刺激」を与えてやれば、

新生ニューロンはどんどん増えていくのである。


その「刺激」こそが「感動」なのだ。

感動で重要なことは、

その刺激はあくまでも「予想もしなかった」ものでなければならい、という点だ。


つまり、「予定外」や「想定外」の刺激でなくては、感動とはならないのである。

脳にとっての感動とは、「予定外報酬」のことなのだ。

あらかじめ答えのわかっている報酬については、なかなか感動をともなわない。


そこで、

「習慣とは、結局のところ新たに同じことを繰り返すということではないのか?」

という疑問が生ずる。

たしかに、習慣とは繰り返しの作業である。

しかし、習慣には「いい習慣」と「悪い習慣」とがあることを忘れてはならない。


いい習慣とは何か?

ズバリ、感動をともなう習慣だ。


たとえば、誰もが必ず身につけている習慣に、食事がある。

そして美味しいお寿司を食べたとき、極上のワインを飲んだとき、

わたしたちは間違いなく感動する。


それが以前に飲んだことのあるワインであっても、

脳は同じことをただ続けているとは思わない。

当たり前の話だが、おいしいものは「何度食べてもおいしい」のである。


それでは、悪い習慣とはどういうものだろう?

感動のない習慣、何も感じることのできない習慣、

そしてストレスを蓄積してしまう習慣だ。

夜更かし習慣、運動不足の習慣、コンビニ弁当の食習慣、

そして「趣味がない」という習慣。

これらから感動を得るのは不可能である。


気持ちいい習慣、没頭できる習慣は、脳にとっても「いい習慣」である。

おいしい食事、適度な運動、恋愛や、それにやりがちのある仕事や趣味など

さまざまなものがこれに該当する。

『一瞬であなたの人生を変えるシンプルな習慣』フォレスト出版


日頃使う言葉や口ぐせはとても大事な習慣だ。

ポジティブでいい言葉を使うことこそ、それが「いい習慣」の始まり。

いい口ぐせがその人の良き人生をつくり、

そして、運のいいポジティブな人たちを引き寄せる。


ユーモアや笑いも習慣にできる。

会話の中にユーモアを織り交ぜようとすれば、笑えるネタを毎日探すようになる。

ユーモアや笑いが、自分の習慣となって身につけば、最強の「いい習慣」となる。


また、読書も、知的で、多くの感動を呼び起こす、「いい習慣」。

毎日続ければ、そこに気づきや驚きがある。

映画やスポーツを見たり、演劇を鑑賞したり、寄席に行ったりする、

ということも大きな感動体験となる。

なにも、海外旅行に行くとか、高級旅館に泊まるというような、

お金のかかることばかりではない。

もちろん、日常の仕事の中や家庭生活に感動を見出すことが

最高の「いい習慣」であるのは言うまでもない。

身近なことに感動できる、「いい習慣」を身につけたい。




2013年3月28日 (木)

言葉は大切に

   「言葉」


言葉にすれば伝わるけど、

言葉にすれば傷つけるかもしれない、

言葉にすれば誤解を生むかもしれない。

でも言葉にすれば喜んでもらえるかもしれない、

言葉にすれば気持ちが伝わるかもしれない。

たった一言で変わるのが言葉。

言葉は大切に…

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最後の授業

廃校寸前に陥っていた熊本県の天草東高校をはじめ、
6校の校長を歴任し、次々と教育現場の改革を図ってきた
熊本の名校長・大畑誠也氏のお話をご紹介します。


... 「熊本の名校長・最後の授業」
大畑誠也(九州ルーテル学院大学客員教授)
_______

私が考える教育の究極の目的は
「親に感謝、親を大切にする」です。

高校生の多くはいままで自分一人の力で
生きてきたように思っている。

親が苦労して育ててくれたことを知らないんです。

これは天草東高時代から継続して行ったことですが、
このことを教えるのに一番ふさわしい機会として、
私は卒業式の日を選びました。

式の後、三年生と保護者を全員視聴覚室に集めて、
私が最後の授業をするんです。

そのためにはまず形から整えなくちゃいかんということで、
後ろに立っている保護者を生徒の席に座らせ、
生徒をその横に正座させる。
そして全員に目を瞑らせてからこう話を切り出します。

「いままで、お父さん、お母さんに
いろんなことをしてもらったり、
心配をかけたりしただろう。
それを思い出してみろ。

交通事故に遭って入院した者もいれば、
親子喧嘩をしたり、こんな飯は食えんと
お母さんの弁当に文句を言った者もおる……」

そういう話をしているうちに涙を流す者が出てきます。

「おまえたちを高校へ行かせるために、
ご両親は一所懸命働いて、
その金ばたくさん使いなさったぞ。
そういうことを考えたことがあったか。
学校の先生にお世話になりましたと言う前に、
まず親に感謝しろ」

そして

「心の底から親に迷惑を掛けた、苦労を掛けたと思う者は、
いま、お父さんお母さんが隣におられるから、
その手ば握ってみろ」

と言うわけです。

すると一人、二人と繋いでいって、
最後には全員が手を繋ぐ。
私はそれを確認した上で、こう声を張り上げます。

「その手がねぇ!

十八年間おまえたちを育ててきた手だ。
分かるか。……親の手をね、
これまで握ったことがあったか?

おまえたちが生まれた頃は、柔らかい手をしておられた。

いま、ゴツゴツとした手をしておられるのは、
おまえたちを育てるために
大変な苦労してこられたからたい。

それを忘れるな」
その上でさらに

「十八年間振り返って、
親に本当にすまんかった、
心から感謝すると思う者は、
いま一度強く手を握れ」

と言うと、あちこちから嗚咽が聞こえてくる。

私は
「よし、目を開けろ。分かったや?
私が教えたかったのはここたい。
親に感謝、親を大切にする授業、終わり」
と言って部屋を出ていく。

振り返ると親と子が抱き合って涙を流しているんです。
_______

『致知』2011年1月号
  特集「盛衰の原理」より

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2013年3月27日 (水)

失敗したっていいじゃないか

  【失敗したっていいじゃないか】

『失敗するのは恥ずかしい』
と、思うかもしれません...

でも、それを強く思いすぎると慎重になりすぎて
行動できなくなってしまいます
そもそも、失敗は恥ずかしいことでしょうか
やっているから、失敗もあるのです
何もやっていない人に失敗はありません
【失敗】とは『敗け』を『失う』と書きます
今、敗けて、次の敗けを失くせ
ということではないでしょうか
失敗して初めてわかることがたくさんあるからです
躓くのは前進している証拠
何もせずにじっとしている人は躓くことはありません

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自分で正解を見つける努力を

「人からもらった正解で生きていけるほど人生は甘くない」 

 “考えるヒント”(養老猛司)


「柳の下にいつもどじょうは居らぬ」という諺(ことわざ)がある。

これは、「あるとき柳の木の下でどじょうをつかまえたからといって、

いつも、そこで、どじょうがつかまえれるわけではない」という意味。

そこから、他人の成功談を聞いて、

その通りやっても成功するとは限らないという教訓を引き出すことも可能だ。


ある人の成功談は、その人一回きりのもの。

その人が遭遇した社会状況や人間関係と、まったく同じ状態が、

二度と出現することなどないからだ。


もちろん、そこから「成功への法則」を生み出すことはできる。

ただし、それはあくまで一般論であって、

そのままでは、個々のケースにあてはまらないことも、しばしば。

それにもかかわらず、与えられた「成功の法則」通りにやれば、

自分も成功すると思い込んでいる人がいる。

応用がきかないというのか、世の中ケース・バイ・ケースだということがわからない。


このようなマニュアル人間の失敗は、「正解」は常に一つだという思い込みにある。

この世の「正解」は決して一つではないことに思いが及ばないのだ。

【人の心に灯をともす】 より


ダイエット等の成功本を読んで、それを一字一句実践しようとする人がいる。

しかし、そういう人はたいてい途中で挫折するか、成果が出ることは少ない。

人の成功談は、それを一旦自分に置き換える作業が必要だ。

マニュアルになれてしまっている現代人は、置き換えるという発想が苦手だ。

全く別の業界の成功例を、自分の業界に持ってきたらどうなるか、

というような柔軟な独創力。


「人からもらった正解」は、あくまでも人のもの。

成功談は、その本質を捉え、我とわが身に落とし込むこと。

自分で正解を見つける努力と冒険を惜しまない人でありたい。




2013年3月26日 (火)

誰でも口から

プラスのことも

マイナスのことも吐く。


だから 【 吐 】 という字は

口と+と-で出来ている。


マイナスのことを

言わなくなると-が消えて

 【 叶 】 という字になる。




でも、ともかく

  ◆でも、ともかく…◆
 ―マザー・テレサの言葉―

世間の人は、とかく理不尽で、自分勝手なものです。

でも、ともかく赦してあげなさい。

あなたが親切だと、人々は、あなたの隠れた動機を詮索して非難します。
でも、ともかく親切になさい。

あなたが正直だと、人々はあなたをだまします。
でも、ともかく正直でいなさい。

あなたが幸せを見つけると、人々はやつかみます。
でも、ともかく幸せでいなさい。

あなたが今日 行う良いことは、明日には忘れられてしまいます。
でも、ともかく良いことを行いなさい。

あなたが持っている最善最高のものを世に与えなさい。
それでも十分ではないかもしれません。
でも、ともかく最善最高のものを与えなさい。




母の席に座って

先生が小学五年生の担任になった時、
どうしても好きになれない児童がひとりいた。

その少年は、一人服装が不潔でだらしなかった。
中間記録に先生は少年の悪いところばかりを
...
記入するようになっていた。

あるとき、少年の一年生の記録が目にとまったのである。

一年生・・・朗らかで、友達が好きで、人にも親切。
      勉強も良く出来、将来が楽しみ。

間違いだ。
他のこの記録に違いない。

先生はそう思った。

二年生・・・母親が病気で世話をしなければならず、
      学校に遅刻する。

三年生(一学期)・・・母親の病気が悪くなり疲れていて教室で居眠りをする

三年生(三学期)・・・母親が死亡。希望を失い、悲しんでいる。

四年生・・・父は生きる意欲を失い、
      アルコール依存症となり、子供に暴力を振るう。

先生の胸に激しい痛みが走った。

ダメと決め付けていた子が突然、

悲しみを生き抜いている生身に人間として、
自分の前に立ち現れてきたのだ。

放課後、先生は少年に声をかけた。

「先生は夕方まで教室で仕事をするから、
 あなたも勉強していかない?
 分からないところは教えてあげるから」

少年は初めて笑顔をみせた。

それから毎日少年は教室の自分の机で
予習復習を熱心に続けた。

授業で少年が始めて手を挙げたとき、
先生に大きな喜びが沸き起こった。

少年は自信を持ち始めていた。
それはクリスマスの午後だった。

少年が小さな包みを
先生の胸に押付けてきた。

後で開けてみると、香水の瓶だった。

亡くなったお母さんが
使っていた物にちがいない。

先生はその一滴をつけ、
夕暮れに少年の家を訪れた。

雑然とした部屋で
独り本を読んでいた。

少年は、気がつくと飛んできて、
先生の胸に顔を埋めて叫んだ。

「ああ、お母さんの匂い!
 今日はなんて素敵なクリスマスなんだ。」

六年生で少年の担任ではなくなった。

卒業の時、
先生に少年から一枚のカードが届いた。

「先生は僕のお母さんのようです。
 そして今まで出会った中で
 一番素晴らしい先生でした。」

それから六年、またカードが届いた。

「明日は高校の卒業式です。僕は五年生で

 先生に担当してもらって、とても幸せでした。
 おかげで奨学金をもらって、医学部に進学
 することができます。」

十年経て、またカードがきた。

そこには先生に出会えた事への感謝と
父親に叩かれた経験があるから
患者の痛みが分かる医者になれると記され、
こう締めくくられていた。

「僕はよく五年生のときの
 先生思い出します。

 あのまま駄目になってしまう僕を
 救ってくださった
 先生を神様のように感じます。

 医者になった僕にとって、
 最高の先生は五年生
 の時に担任して下さった先生です」

 そして一年。
 届いたカードは結婚は結婚式の招待状だった。

 「母の席に座って下さい」
  と一行、書きそえられていた。

参考:涙腺崩壊
********************

人はお互い支えあって生きていること。
すごく考えさせられるお話でした。

誰にも心の中に不満や不安を抱えて生きている。
いつだって味方でいてくれる親がいなくなった・・・
どんなにつらいだろう。。。

辛い時期を乗り越えていける強さ。
辛い時期を支えてあげる強さ。
そういう強さを持ち合わせたい。




2013年3月25日 (月)

幸せ

出会えた幸せ、
笑い合える幸せ、
「ありがとう」と言える幸せ、
「ごめん」と言える幸せ、
一緒にいられる幸せ、
喧嘩できる幸せ、
仲直りできる幸せ、
「おかえり」と言える幸せ、
「ただいま」と言える幸せ、
泣ける幸せ、
明日が来る幸せ、
幸せを幸せだと気づける幸せ・・・・・

日々の幸せを噛みしめていきたい。



作家・三浦綾子さんの幸福論

  「作家・三浦綾子さんの幸福論」
     『致知』2005年10月号    特集「幸福論」総リードより

禅の研究と著述に九十六年の生涯を傾注された鈴木大拙博士が、
こういう言葉を残されている。

「人間は偉くならなくとも一個の正直な人間となって
信用できるものになれば、それでけっこうだ。

 真っ黒になって黙々として一日働き、時期が来れば
 “さよなら”で消えていく。

 このような人を偉い人と自分はいいたい」

平明、しかし深遠な一つの幸福論である。

幸福論の言葉で真っ先に思い出す人に、
作家の故三浦綾子さんがいる。

三浦さんの人生は難病の連続だった。

二十四歳で突然高熱に倒れたのが発端である。
それがその後、十三年に及ぶ肺結核との闘病の始まりだった。
当時、肺結核は死に至る病だった。

入退院の繰り返しの中で、三浦さんは自殺未遂も起こしている。

さらに悲惨が重なる。脊椎カリエスを併発。
ギプスベッドに固定され、動かせるのは首だけで寝返りもできず、
来る日も来る日も天井を目にするのみ。

排泄も一人ではできず、すべての世話はお母さんがした。
そんな生活が四年も続いたとは想像を超える。

そこに一人の男性が現れて結婚を申し込む。
光世さんである。

その日から薄皮を剥ぐように快方に向かい、
二人は結婚する。

綾子さん三十七歳、光世さん三十五歳だった。
そして綾子さんの書いた小説『氷点』が
新聞社の懸賞小説に当選、作家への道が開ける。

しかし、その後も病魔はこの人を襲い続けた。
紫斑病。喉頭がん。

三大痛い病といわれる帯状疱疹が顔に斜めに発症、鼻がつぶれる。
それが治ったと思ったら大腸がん。
そしてパーキンソン病。

この二つを併発している時に、
本誌は初めてお会いしたのだった。

次々と襲いかかる難病。

それだけで絶望し、人生を呪っても不思議はない。
だが三浦さんは常に明るく、ユーモアに溢れていた。

「これだけ難病に押しかけられたら、
 普通の人なら精神的に参ってしまいますね」という
 本誌の質問に三浦さんは笑顔で答えた。

「神様が何か思し召しがあって
 私を病気にしたんだと思っています。

 神様にひいきにされていると思うこともあります。

 特別に目をかけられ、特別に任務を与えられたと……。
 いい気なもんですねえ(笑)」

誰の人生にも絶望的な状況はある。
だが、心が受け入れない限り、絶望はない。

同様に、誰の人生にも不幸な状況はある。
しかし、心が受け入れない限り、不幸はない。

三浦さんの生き方はそのことを教えてくれているように思う。

その三浦さんがこんな言葉を残している。

「九つまで満ち足りていて、
 十のうち一つだけしか不満がない時でさえ、
 人間はまずその不満を真っ先に口から出し、
 文句をいいつづけるものなのだ。

 自分を顧みてつくづくそう思う。
 なぜわたしたちは不満を後まわしにし、
 感謝すべきことを先に言わないのだろう」

幸福な人生をどう生きるか。各界先達の英知に学ぶ。




2013年3月24日 (日)

人生に光と愛を

  ◆人生に光と愛を◆

あなたが感じる喜び、

あなたがもらう幾つものほほ笑み、

あなたが楽しむ笑い、

あなたが与える心遣い、

あなたが差し出す親切、

あなたが創りだす幸せ、

あなたが注ぎ込む支援、

あなたがささげる献金、

あなたが提供する努力、

これら全ては、人生の現実のただなかに、“光と愛”をもたらします。

あなたは、その“エネルギー”(活動力・行動力)そのものでありなさい!

 ジェフ・ムラン博士

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知られざる偉人・天野清三郎

   「知られざる偉人・天野清三郎」

天野清三郎は十五歳で松下村塾に入塾した。
四つ年上の先輩に高杉晋作がいた。
清三郎は晋作とよく行動を共にした。

だが、清三郎は劣等感を覚えるようになる。
晋作の機略縦横、あらゆる事態に的確に対処していく姿に、
とても真似ができないと思い始めたのである。

では、自分は何をもって世に立っていけばいいのか。

清三郎の胸に刻まれているものがあった。

「黒船を打ち負かすような
 軍艦を造らなければ日本は守れない」

という松陰の言葉である。

「そうだ、自分は手先が器用だ。
 船造りになって日本を守ろう」

真の決意は行動を生む。
二十四歳で脱藩しイギリスに密航、
グラスゴー造船所で働くのである。

そのうち、船造りの輪郭が呑み込めてくると、
数学や物理学の知識が不可欠であることが分かってくる。
彼は働きながら夜間学校に通い、三年間で卒業する。

当時の彼の語学力を思えば、
その努力の凄まじさは想像を超えるものがある。

しかし、三年の学びではまだおぼつかない。
さらに三年の延長を願い出るが、受け入れられない。
そこで今度はアメリカに渡り、
やはり造船所で働きながら夜間学校で学ぶのだ。

ここも三年で卒業する。
彼が帰国したのは明治七(一八七四)年。
三十一歳だった。

清三郎は長崎造船所の初代所長になり、
日本の造船業の礎となった。
一念、まさに道を拓いた典型の人である。




2013年3月23日 (土)

寝る前に自分を褒める

     【寝る前に自分を褒める】

寝る前にその日を振り返る時間を持っていますか

このときは、失敗したことや嫌なこと
...

自分を責めることはもう振り返らないでいいのです

今日一日、自分自身を褒めてあげることがなかったかを振り返るのです

その日、誰にも褒められなくても、認められなくても

自分が頑張った、努力したことは自分自身が一番良く分かっているからです

だから、自分自身を褒めてから寝ましょう

毎日、頑張っている自分を褒め続けるうち

自分の本当の価値に気づくでしょう

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人生という家

引退しようとしているある高齢の大工の話を紹介しよう。

この話が私は好きだ。

とても大切なことを語っているからだ。

その大工は、もうそろそろ家を建てる仕事をやめて、

妻と一緒にのんびり暮らそうと思った。


雇い主は、個人的な願いとして「もう一軒だけ建ててくれないか」と頼んだ。

大工は承知したが、真剣に仕事をする気はなかった。

粗悪な材料を使い、手を抜いた。

キャリアを積んだ優秀な職人の幕引きにしては、残念な仕事だった。

家は完成した。


点検にやって来た雇い主は、玄関のカギを大工に渡していった。

「この家はあなたの家です。

私からのプレゼントです」

大工は、大ショックを受けた。

ひどく恥ずかしかった。

自分の家を建てているとわかっていたら…たぶんもっと頑張っただろう。


私たちもこの大工と同じだ。

毎日毎日、人生という家を建てている。

だが、建てていることに全力を尽くしていないことが多い。

そしてずっと後になって、自分がつくりあげた人生(建てた家)に

一生住みつづけなくてはならないことを知ってショックを受ける。

もう一度、やり直すことができたら、まったくちがうことをするだろう。

だが、その時はもう、後戻りはできないのだ。

あなたに後悔してほしくない。

あなたも私も、大工のことを笑えない。


私たちは人生という一生住みつづける家をつくっているが、

果たして最善を尽くしているか…

「ベストを尽くせ」という言葉は耳にタコができるほど聞かされた言葉かもしれない。

それから「あと、ひと頑張りだ」という言葉も。


でも、もう一度いおう。

いま、取り組んでいることに全力を尽くすと、

思いがけないところから幸運がもたらされることが多い。

もうダメだとか、おしまいだとか思っても、もうひと頑張りすることが何より大切である。

それをどうか忘れないでほしい。

あと、ひと頑張りだ!

もう一歩だ!

【人の心に灯をともす】 より


徒然草の中に、「高名(こうみょう)の木登り」という有名な話がある。

有名な木登りの名人が、配下の男を指図して木を切らせていたが、

高いところに登っているときは何も言わなかったが、

安全そうな高さにまで降りてきたときに、「用心して降りよ」と声を掛けたという。

人は誰も、高いところにいるうちは、自分でも危険を感じて用心するが、

飛び降りても大丈夫なような距離まで降りてくると、

つい気を抜いてしまい、そこで怪我をする。


つめが甘い人間は、最後の最後に大失態をしやすい。

ふっと気が緩(ゆる)んでしまうからだ。

また、「天に唾(つば)する」という言葉があるが、

人に悪口雑言を浴びせれば、それはやがて自分に返ってくる。

人を罵(ののし)っているつもりが、実は自分を罵っている。

誰も見ていないからと、最後に手を抜く人は、天がそれを見ていることを知らない。

最後の瞬間までベストを尽くす人でありたい。




2013年3月22日 (金)

ありがとう

『ありがとう』 という言葉は

運気を高め、成功に導きます

...
好調なときは素直に『ありがとう』という言葉が

口から出てきますが

不調なときにはグチや文句が出てしまいます

これでは、あなたの苦しい状況を見て助けようとする人も

遠ざけてしまうことになります

人の『希望』というものは

自分自身で作り出すものではなく

周りにいる人がもたらしてくれるもの

『ありがとう』という言葉は

人が持ってきてくれる『希望』を

あなたのもとへ受け入れやすくするための言葉なのです

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礼には礼でこたえる・台湾選手

今回のWBCには、その道程の中で決して忘れてはならない
魂のベストゲームが存在します。

それが今月8日に行われた日本×台湾戦でした。

9回2アウトまで追い込まれた日本の底力。

そして逆転劇。

しかし、土壇場で勝利を逃し落胆しているはずの台湾ナインですが、

試合後、地上波では放送されることのなかった
ある振る舞いで日本人を驚かせました。

なぜかマウンドで円陣になり、
スタンドに向かって深々と頭を下げる彼ら。

そして試合後に台湾のファンが掲げた旗には、
「日本おめでとう」の文字が。

その謙虚さと息をのむ光景に
何万人という日本人にが胸を熱くしました。
……
それは、まもなく震災から2年を迎える
今月6日のことでした。

一人の日本人がツイッターにこうつぶやきます。

「WBC、日本は初戦が台湾に決定。
この試合を見に行かれる方、先般の東日本大震災への台湾からの
多大な支援のお礼の横断幕やプラカードをお願いします。
WBCを通じ、日本と台湾の信頼関係を深め、
私達が本当に台湾に感謝している事を伝えて下さい」

台湾からの多大な支援。

そう、意外と知られていませんが、

先の震災で世界最多となる200億円を超える義援金と、
400トンを超える援助物資を送ってくれたのが

台湾だということ。

そればかりか、

震災の翌日に世界のどこよりも早く
救助隊を派遣してくれたのも、また台湾でした。

「そんな台湾にお礼をしよう。」

WBC日本台湾戦の2日前にそう呼びかけたツイッターは、
瞬く間に日本中に拡散しました。

そしてその展開は日本だけにとどまりませんでした。

台湾に感謝を示そうとした日本人の心が、

翌日には海を超え、
中国語に翻訳されて拡散され、

台湾の人をも動かし始めます。

台湾の街角でも、何人もの人が中国語に訳されたあのツイートを。

こうして広がっていったやりとりは、

台湾のマスコミにも取り上げられ、
多くのことに知られることになります。

ただ、この時すでに来日していた台湾選手たちは、
こうした盛り上がりを知りません。
……
彼らにとってWBCの日本戦はあまりに特別なもの。

台湾にとっての野球、
それは日本と切っても切れない縁で結ばれたスポーツです。

そもそも野球は日本が台湾を統治していた時代に
持ち込まれたものでした。

「職業棒球」と呼ばれる台湾のプロ野球チームは、現在4チーム。

監督やコーチ、選手など
実は、多くの日本人が台湾野球の発展に力を尽くしています。

そんな日本は台湾の野球人にとって

常にその背中を追いかけてきた父のような存在。

今や台湾で最も人気のあるスポーツとなり、
紙幣の絵柄にも採用されるほどになった野球というスポーツ。

今回のWBCも各地で大型のパブリックビューイングが催され、

2,300万人の人口の半数を超える
1,200万人が視聴しました。

国際映像で流れる東京ドームの映像は、

くしくも、

日本にとっては台湾に感謝を伝え、

台湾にとっては野球を教えてくれた日本と世界の舞台で戦える
最高のステージとなっていたのです。

……

試合当日、スタンドにはツイッターの呼びかけ通り、

「台湾に感謝」と書かれた色とりどりのプラカードが。

それが1枚や2枚ではありません。

プラカードの存在に球場で初めて気づいた台湾選手たち。

そんな中、始まった試合は、
まさにWBC史上に残る名勝負となります。

およそ一世紀という時間をかけ、
必死に追いかけてきた背中を越えようとする台湾と、

その前に立ちはだかる日本。

その名勝負は夜23時半を超えても決着がつかず、

いつしか敵と味方という立場も超えて、
球場を一つにし、東京ドームにはウェーブが起こります。

そして日本が1点ビハインドで迎えた9回2アウト。

日本がついに同点に追いつきます。

そして、次の10回表ついに日本が逆転。

その裏、最後にはまるで高校野球のような
ヘッドスライディングを見せる台湾選手。

しかし、追いかけてきた背中にあと一歩届きませんでした。

しかし、これで物語は終わりませんでした。

日本の地上波では放送されなかったシーンです。

喜びを爆発させる日本代表選手の後ろで、

ベンチを出て行く台湾代表選手たち。

彼らは全員でマウンドに向かうと、

360度、スタンドの全方向に深々と一礼をします。

「ホームグラウンドでもない私たちを
日本のファンは応援してくれる。…それに感謝したい」

その姿に観客から惜しみない拍手が贈られます。

「礼には礼でこたえる。」

そうやって互いにリスペクトする関係が築けたこと。
あの日私達はそんな幸せな光景を目の当たりにしました。

(Mr.サンデーより)



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2013年3月21日 (木)

早く切り替える

【泣きたくなったら、さっさと着替える。】

誰にでも嫌なことは起こっているはずです

でも、周りから見ると何も嫌なことが起こっていないように見える人もいます
...

嫌な出来事に蓋をするということではなく

それが起きた意味を考えて、納得したら

早く切り替えるということです

切り替えが早い人は

周りからは、何も嫌なことが起こっていないように見えるものです

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他人にしていることは

 【今日の黙想】


あなたが他人にしていることは、自分に対してしていることです。

つまり、他人に親切にしたら、自分に親切にしています。

あるいは、他人にひどいことをしたら、

自分にひどいことをしています。

ですから、

他人のことを自分のことのように考えてください。


他人を愛し、その人のために正しいことをするなら、

自分を愛し、自分のために正しいことをしています。(Leela James)

今日も自分を愛するように隣人をも愛する一日でありますように祈ります。


何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。

これが律法であり預言者です。 聖書(マタイ福音7:11)




伸びる選手の条件

    「伸びる選手の条件」
   
       吉田栄勝氏(一志ジュニアレスリング教室代表)

13大会連続世界一という偉業を成し遂げた
   レスリングの吉田沙保里選手。
   世界の強豪を相手に、闘志をむき出しにして闘うその姿は
   国民に勇気と感動を与えてくれました。

   そんな吉田沙保里選手が活躍する傍にはいつも
   父であり指導者でもある吉田栄勝氏がいました。

◆その1◆
…………………………………………………
「一度負けたくらいでクヨクヨするな」
…………………………………………………

私は沙保里によくこんな話をしてきました。

「もしおまえが途中で負けてしまったら、
 おまえに負けた子がまた泣いてしまうぞ。
 
 だからおまえに負けた子の分まで
 勝たなきゃいけない」と。

 一方、女房は2008年に
 連勝記録が119で途切れた時

「いままでおまえが勝たせてもらったその裏で、
 他の子は皆泣いていたんだよ。
 一度負けたくらいでクヨクヨするな」

と言いました。

 連勝の記録ももちろん大事ですが、
 やっぱり人間、負ける悔しさというのを
 覚えていってこそ、
 本当の成長へと繋がるのだと思います。

◆その2◆
………………………………
「素直な人間が伸びる」
………………………………

以前うちのレスリング教室に、
一万人に一人とも言える逸材がいました。

出る大会出る大会、全部優勝していきました。

ところが彼は、俺は日本一だという
偉そうな顔をしていて、態度が悪い。

その子が本当に強くなるかというと、
やっぱり最後、素直でなきゃだめですね、人間。

俺は偉いんだ、なんて偉そうにしている人間は
もう人が相手にしない。

小さい頃からそういうことをしっかり叩き込んで
おかないと、大きくなってから必ず損をします。




2013年3月20日 (水)

感動は

  「感動は」


感動は人を変える

笑いは人をうるおす

夢は人を豊かにする。

感動し、笑い

夢を抱くことができるのは

人間だけである。

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トクな人生・ソンな人生

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あの子がいてくれれば

  【あの子がいてくれれば】


子供が2人いる。

でも、本当は、私は3人の子持ちだ。


18歳の春に娘が生まれた。

結婚してくれると言った父親は、結局認知すらしてくれなかった。

若い私にとって未婚のシングルマザーは大変な役割だった。

何で産んだんだろう、どうして子育てなんかしてるんだろうと、そんな格闘の毎日だった。


それでも、娘はすくすくと成長してくれた。

初めて書いてくれた私の顔、赤いランドセル。

それは秋の日の突然の出来事だった。


前夜、やけに娘がべたべたしてきた。

大して寒くない日なのに、寒い寒いと言った。

熱を測っても熱はない。早く寝なさいと添い寝した。


「ママ、ありがとう。ママ、大好き」

娘は私に抱きついたまま眠りに落ちた。

やっと開放されたなと、正直私はホッとした。

少しテレビを見て、私も娘の横で寝た。


翌朝、娘は目を覚まさなかった。起こしても起こしても目を開けなかった。

解剖、そして、事情聴取。

事件性なしと判断され、原因不明の突発的な心臓発作と説明された。


火葬場では、焼かないでくれと棺にすがりついた。

娘の焼却炉の前で、半狂乱で泣き喚いた。

小さな骨が娘のものだとは到底思えなかった。

突然の独身貴族。突然与えられた年相応の自由。

けれど価値観はまるで違っていた。


そのうち笑うようになり、けれど夜になると涙もこぼす。

小学生を見ると辛かった。

けれど、親と言うのは勝手なものだ。

娘の死から2年で結婚し、去年3人目の娘を産んだ。


幼稚園児と赤ん坊の育児にへこたれそうになる。

あの子がいてくれれば、今頃話し相手になってくれただろうと、

今頃何歳になってるはずだと、この頃毎日考える。


あの子がいなかったら、こんなにも娘たちを愛せなかった。

あの子がいなかったら、子供がこんなに大切と思えなかっただろう。

あの子が死ななかったら、私はもっともっと自分勝手な親だったろう。


ありがとう。ありがとう。生まれてくれて、ありがとう。

いなくなって寂しいよ。今でも寂しいよ。


辛くて辛くてずっと封印してきた言葉をこうして書けるのは、

この子達が生まれてくれたおかげだ。





2013年3月19日 (火)

てをつなごう

「てをつなごう」

世界のみんなが

もしてをつないだなら

すぐに大好きになって

嬉しくなっちゃうね


てをつなぐってまるで

魔法みたいだね

知らない誰かさんだった

君と僕はもう友達だ


てをつなごう!てをつなごう!

てをつないだ時のほうが

力がわいてくるよ

優しい気持ちになるよ


てをつなごう!てをつなごう!

嘘じゃないさ 確かめてみよう

さぁ 一緒にてをつなごう!

てをつなごう ~槇原敬之~

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「てをつなごう だいさくせん」について


被災地にいる子どもたち、お父さんやお母さん、若者達、

おじいちゃんに、おばあちゃん、がんばっているみんな。

日本中の人達に、少しでも元気になってほしい。

そう思って、僕たちは手をつなぎました。

ぼくたちを見て、笑顔になってくれたら嬉しいです。

どうか僕たちの画像を、みんなに届けて下さい。

特に子どもたちが見えるところに。ひとりでも多くの人に、笑顔に。

それが「てをつなごう だいさくせん」です。 槇原敬之







不完全な人間

僕はとても

不完全な人間なんだ。

不完全だし 、しょっちゅう失敗する。

でも学ぶ


2度と同じ間違いはしないように決心する。

それでも同じ間違いをすることは

すくなからずある。

何故なら

僕が馬鹿で不完全だからだ。

そういう時には

やはり少し自己嫌悪になる。

そして3度は同じ間違いを犯すまいと決心する。

少しずつ向上する。

少しずつだけれど、

それでも向上は向上だ。


村上春樹






お金より智恵を残す

「富は自分が生きている間は大切なものですが、

死んでしまえば墓の中まで持って行けるものではありません。


それに対して智恵は万代も後まで残るものです。

自分が死んでも、子孫へと受け継がれていくものなのです」

富というのはお金とか宝石とか家や土地などをさしています。

これらのものは確かに大切ですが、

自分が死んでしまえば、そこで終わってしまいます。


でも、智恵というものは、自分が死んだとしても、

二代目、三代目と受け継がれていって、万の位になるまで続いていくというのです。


京都に行くと、江戸時代からやっていますとか、

室町時代からやっていますという古いお店がたくさん残っています。

老舗といいますが、これらのお店は、創業者一代で終わるのではなくて、

子孫、孫、曾孫、玄孫…というふうに代々続いてきて、今に至っているのです。

これが「万代の財」というものです。


では、どうして富は一代で終わってしまうのに、智恵はずっと残るのでしょうか。

たぶんそれは、一代目が学んで得た智恵を子供に伝え、孫に伝えていくと、

それが子供の代、孫の代になって役に立つからではないかと思います。


お金を残すのも大事かもしれませんが、お金は使ってしまえばなくなります。

でも、智恵はいくら使ってもなくなりません。

だから、お金よりももっと大事なのは智恵を残すことなのだと、

昔の人はいっているのです。


こんな例があります。

親がお金持ちで、たくさんのアパートを遺産として受け継いだのです。

アパートを経営していると、毎月家賃が入ってきますから、

その人は働く必要がありませんでした。

ところが、ギャンブルにお金を湯水のように使うようになってしまい、

その家はその人の代でダメになってしまいました。


どんなにたくさんお金を残してもダメなのです。

それよりも、子供にしっかり勉強をさせて、

智恵をつけて、子供が自分で働いて世の中で生きていけるように、

そして、人の役に立てるようにしなくてはいけません。

それが大人の役割です。

それを目標にするほうが、お金を残すよりずっと大切です。



2013年3月18日 (月)

誉めてあげれば

誉めてあげれば、子供は明るい子に育つ。

愛してあげれば、子供は人を愛することを学ぶ。

認めてあげれば、子供は自分が好きになる。

見つめてあげれば、子供は頑張り屋になる。

分かち合うことを教えれば、子供は思いやりを学ぶ。

親が正直であれば、子供は正義感のある子に育つ。

優しく、思いやりをもって育てれば、子供は優しい子に育つ。
守ってあげれば、子供は強い子に育つ。

和気あいあいとした家庭で育てば、

子供はこの世の中はいいところだと思えるようになる。

(ドロシー・ロー・ノルト)



結婚と父の話

実家の両親に彼が結婚の申し込みをしに、挨拶に来た。
会話は和やかで結婚の話にも触れていたし、

両親も私と彼の結婚を祝福してくれていたが、彼は、
「お嬢さんと結婚させてください!」のようなセリフを言えないでいた。


彼は話を切り出すタイミングを失っている様子だった。
結局、彼は確信の言葉を口にせぬまま宴は終了した。
私は彼を送るために玄関に先に出た。
しばらくして、彼も玄関の方にやってきた。
彼は両親にペコリと頭を下げて私の実家を後にした。

私は彼を近くまで送っていった。
すると、彼がポツリと言った。
「お父さん、泣いていたよ・・・。」
私はどうして父が泣いていたのか彼に尋ねた。

「○○ちゃん(私)が、先に玄関に行ったでしょ。
その時、俺、お父さんに
『○○ちゃんを幸せにしますから』って言ったんだ。
そうしたら、お父さんは俺の手を握って、薄っすら涙を浮べながら、
『娘を宜しくお願いします』って言ってくれた。」
私はその話を聞いて、目頭が熱くなった。

その後、しばらくして私は彼と結婚した。
たまに実家に帰ると、父は殆どお酒が飲めないのに、夫と酒を飲みたがった。

後で聞いた話だが、父は親類に以前、
「○○は嫁には出さん!」と語っていたらしい。
しかし、父は夫を本当の息子のようにとても可愛がってくれ、夫をいつも誉めてくれた。

結婚3年目の今年、父が他界した。

夫は「お父さんにロクに親孝行をしてあげれなかったな・・・」と言った。
私も、父に親孝行らしい事を殆どしてあげれなかった。
でも父は、息子と一緒に酒を飲めることが出来て、
幸せだったのかな・・・と思うことが、慰めになっている。




「1分の価値」

1日24時間。

それは、誰にも等しく与えられているものです。
それなのに、時間を有効に使っている人と、そうでない人がいるような気がしませんか?

いつも「時間がない」と口癖のようにつぶやきながら、時間に追われて仕事をしている人。
時間に対してイニシアチブをとって、サクサクと仕事を進めていく人。
あなたの職場を見渡していると、どちらの人のほうが多いでしょうか?
時間に「追われるか」、それとも、時間を「追うのか」
これは、人それぞれの「時間の捉え方」によって変わってきます。
1分1秒を大切にしている人であれば「時間がない」と言っている、
その数秒をムダに思うでしょう。

私が、エグゼクティブを補佐する秘書として働きはじめたときに、
とても驚いたことがあります。
それは「1分の価値」の違いです。
上司にとっての「1分」と、私にとっての「1分」の価値に大きな違いがありました。
つまり「1分」という時間に対する捉え方が違っていたため、
仕事がスムーズに進まなかったのです。

上司は、多忙なスケジュールであっても、1分で意思決定ができると言います。
また、極言まで集中した1分は、その10倍もの価値があるそうです。
ようするに、多くの人が10分間かけて意思決定するところを、
1分で済ませてしまうことができる、ということです。
これは衝撃的な事実でした。

相手の「1分の価値」を知ってからは、相手の時間に対する価値観を、
自分のそれと合わせるようにしていきました。
つまり、相手の仕事のスピードに合わせていったのです。

今まで10分かかってやっていたことを、
上司のスピードに合わせて1分でやる、ということは、大きな試練でもありましたが、
後に、1分間に10件の案件をさばけるまでになっていきました。

イニシアチブをとっている、ということです。
まずは、あなたの「1分」を大切にしてみませんか?

時間を有効に使っている人達はみな「時間を捉える力」があります。
「時間を捉える力」とは、時間に対して主導権を持っている。




2013年3月17日 (日)

いざ、翼を駆って

◆いざ、翼を駆って!◆

人生を生きるということは、空高く飛ぶようなものです。

いつでも物事をあとに残し

いつも新しい場所に向かい、

携えていけないものは、そのままにし、

何に、また・誰と会うかは全くしらないまま、

でも、新しい経験に心を開いて――。

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8割の社長が "貧乏" な理由

8割の社長が "貧乏" な理由


人間の脳は本来、省エネで動くようにできていて、

限られたエネルギーをできるだけ有効的に使おうとする。

人が生物として生きるには、その仕組みが適しているのだろう。

ところが、ビジネスマンとして成功するには、これは逆効果に作用するようだ。


キーになるのは「認知コスト」という概念だ。

認知コストとは、脳が思考に費やすエネルギー、いわば、脳内コストのことだ。

脳は、この認知コストをできるだけ下げようとする。

典型が、まわりの意見に対する反応だ。


「信じる」と「疑う」とでは、「信じる」ほうが認知コストが軽減される。

そのため、脳はできるだけまわりの意見に従おうと働く。

こうした脳本来の習性が、ビジネスにおいては、

ときには逆効果になることを警告したのが、鈴木氏のこの言葉だ。


「みんなが賛成することはたいてい失敗し、反対することはたいてい成功する」

みんなが賛成することに従えば、確かに認知コストはかからない。

しかし、誰もが同じことを始めるため、過当競争に陥り、順に脱落していく。

日本の家電メーカーの液晶テレビ事業はその典型だ。


一方、みんなが賛成することを疑うのは認知コストがかかるが、

実現すれば、競争相手はいないから成功する。

鈴木氏の足跡はその繰り返しだった。

【人の心に灯をともす】 より


今流行っている仕事、またはそのきざしがある事業に参入するのは比較的容易だ。

先行して成功している会社の業績を調べて、周りを説得すればいいからだ。

多くの大会社や官庁では、前例が重視される。

だから、成功している会社をまねることは、周りの賛成を得やすい。


しかし、前例のないことをやろうとすれば、ほとんどの人が反対する。

誰もリスクをとりたくないからだ。

みんなが行く道に進めば、

その分野はたちまちにしてレッドオーシャンという過当競争の世界になってしまう。


恐がって誰もがやらない道は、競争がないブルーオーシャンの世界。

誰も行かない道を進むには、脳に汗をかくほど必死に考え、

同時に、リスクに立ち向かうぼう大なエネルギーが必要だ。

しかし、「みんなと一緒」、「みんなと同じ」は、自分の頭で考えなくてもいい楽な道。

あえて人と違う道、ものまねをしない道、リスクをとる道を選びたい。



サーカス・見物

私がまだ十代のころのことです。
サーカスの入場券を買うために、父と私は長い列に並んで順番を待っていました。

...
ようやく、私たちの前にいるのは、あと一家族だけとなりました。
私はその家族に強く心を引かれました。
その家族には子どもが8人もいて、

いちばん年上の子どもでも12歳ぐらいにしか見えません。
あまり裕福そうではなく、着ている服も上等とはいえませんが、
きれいに洗濯されています。
そして、行儀よく手をつないで、両親の後ろにきちんと二列に並んでいました。

期待に胸をはずませた子どもたちは、ピエロのこと、象のこと、
そして今から見るいろいろな演技のことを、嬉しそうに話していました。
どうやら、サーカスを見るのはこれが初めてのようです。

子どもたちにとって、今日のサーカスは生涯残る素晴らしい思い出となることでしょう。
子どもたちの前には、両親がとても誇らしげに立っていました。
妻は夫の手をしっかりと握って夫を見上げ、
夫も暖かいほほ笑みを浮かべて、妻を見つめ返していました。

売場の女性が、入場券の枚数をたずねました。
父親は胸を張って答えます。
「子ども8枚と大人2枚ください。これで家族にサーカスを見せてやれますよ」

入場券の合計金額が告げられました。
すると、妻は夫の手を離し、黙ってうつむいてしまいました。
夫のくちびるも震えています。
彼は、また聞き返しました。
「いくらですって?」
売場の女性は、もう一度答えました。

その父親には、それだけのお金がなかったのです。
サーカスを見るにはお金が足りないということを、
後ろにいる8人の子どもたちに、どうやって告げようというのでしょう。

ことのなりゆきを見ていた私の父は、ズボンのポケットに手を入れました。
そして20ドル札を取り出し、なにげなく落としました。

父は腰をかがめてそのお札を拾い上げ、

その前の男の肩を軽くたたいて、こう言いました。
「失礼ですが、ポケットからこれが落ちましたよ」

その男は、わたしの父が何をしようとしているのか、すぐに察しました。
彼は人からほどこしを受けるような人ではなかったかもしれません。
でも、その時は、私の父の助けを心から感謝して受け取ったのです。

20ドル札を差し出す父の手を両手でかたく握りしめ、その目をじっと見つめました。
くちびるは震え、ほおには涙が伝わり落ちています。

「ありがとう。
ありがとうございます。
これで助かります」

父と私は車に戻ると、そのまま家に帰りました。
その晩、私たちはサーカスを見ることはできませんでした。
でも、それでよかったのです。




2013年3月16日 (土)

笑い方に人間性が表れる

「笑い方に人間性が表れる」

どんなふうに笑うか、どんな場合に笑うか、
そこには人間性がはからずも表れている。


たとえば、
人の失敗をおとしめて笑っているのか、
意味合いのおかしさを笑っているのか、
洗練された機知をおもしろがっているのか、
ということだ。


さらに、
笑い声の響き方に、その人の本性が洩れ出ている。
だからといって、笑いに臆病になる必要はない。
他のやり方でも、わたしたちは自分の人間性を表している。
わたしたちの人間性が変われば、
笑い方も自然に変わるのだから。


ドイツの哲学者“ニーチェ

たしかに、僕の尊敬している人達は、よく笑うし笑い方も素敵です♪
テレビに出ている芸能人や、スポーツ選手なんかでも、
いい表情で笑っている人に目がいってしまいます。

いい笑い方ができるように、人間性を磨いて行きます!!




命を懸ける姿勢が人を感化する

 再生の陣頭に稲盛和夫氏を迎え、
 奇跡的なV字回復、再上場を成し遂げた日本航空(JAL)。

 同社はいかにして、負債総額2兆3221億円という
 最大の逆境から立ち直ることができたのか。

 執行役員として、稲盛氏と共に再生の最前線に立ち、
 昨年、社長に就任した植木義晴氏の記事の一部をご紹介します。

   「命を懸ける姿勢が人を感化する」

        植木義晴(日本航空社長)
          『致知』2013年4月号 特集「渾身満力」より


【記者:稲盛和夫氏のご指導で他に印象に残っていることはありますか】

数えきれないほどあります。
中でもやはり一番大切にされていたのは、
まずは「責任を持て」ということでした。

この会社ではいままで誰が責任を持って
経営をしてきたんだと。

本部長一人ひとりが自分の本部のことに
100%の責任を持っているのかと。

その責任感がなければ
執行もできないだろう、
と我われに強く訴えかけられました。

会議の場で我われ役員が時間をいただき、
個別の案件について提案させていただいた
時のことは、いまも忘れられません。

そこで名誉会長が見ておられたのは、
説明の内容よりも、それを説明する
我われの「心意気」でした。

これ以上聴く必要がないと判断されれば、
最初の5分で「もう帰りなさい」と。

君の話には魂がこもっていない。

本当に認めてほしいなら、
私と刺し違えるつもりで来なさい。
その気迫のない者は去りなさいと。

ですから5分、10分、なんとか持ち堪えようと
懸命に説明をする。

30分聴いていただいて
ホッと胸をなで下ろしました。

もちろんその上で判断が下るわけですけれども、
そういう「真剣勝負」の場を毎日毎日
過ごさせていただいたことは
本当に大きかったですね。

………………………………………………
【JALフィロソフィ その1」】
 社員の心に特に浸透した言葉とは?
………………………………………………

●「土俵の真ん中で相撲を取る」 

 常に土俵の中心を土俵際と思い、
 一歩も引かない気持ちで仕事に当たること。

 余裕のあるうちに全力で仕事に当たるべきで、
 余裕ができても慢心せず、緊張感を持って
 全力を尽くすべきだ。



親の体を洗ってきてほしい

【親の体を洗ってきてほしい 】

「君は今まで、親の体を洗ったことがあるかな。」
青年が入社試験で社長から、こんな質問を受けました。

「いいえ。一度もありません。」と答えると、
... 社長は「君、すまないが明日この時間にここに来てくれないか。
それまでに、親の体を洗ってきてほしいのだが、出来るか?」
「はい、なんでもないことです。」と答えて青年は家に帰った。

父親は、彼が幼い時に亡くなり、
母親は一人で必死に働いて子供を大学まで出させたのです。

帰宅した母親に事情を話し、「足を洗うよ」と言いました。
「そんなら洗ってもらおうか」と母親は腰をおろした。
彼は母親の足を握った。

握った後、そのまま両手で母親の足にすがりつき、
声をあげて泣いてしまったのです。
「お母さんの足が、こんなに硬くなっている。棒のようになっている。
学生時代に毎月送ってもらっていたお金を当たり前のように使っていたが、
これほど苦労をかけていたとは。」
これは学校では教えてもらえなかったものでした。

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2013年3月15日 (金)

 「道」

  「道」

この道を行けばどうなるものか

危ぶむなかれ

危ぶめば道は無し

踏み出せばその一歩が道となり

その一歩が道となる

迷わず生けよ

行けば、分かる

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母より

僕の高校時代はとても悲惨でした。
と言っても友達はいたし、虐められてたわけでもない。
何が悲惨だったかというと、

1年生の時に母親が兄と妹を連れて家を出て行ったんです。
僕と父を残して。


とても悲しくなりました。
なんで僕を置いて行ったんだ?と。
僕は捨てられたんだ、と。
怒りがこみ上げてきて、母を兄を妹を憎みました。
父は何も言わず、ただただ仕事が忙しいと家に帰ってきませんでした。

そして僕の高校3年生の誕生日の日に一通の封筒が届きました。
封筒は母から僕に宛てられたものでした。
中には3つの誕生日カードと1つの手紙が入っていました。
誕生日カードは字を覚えた妹と兄、そして母のものでした。
誕生日カードは開くとオルゴールが鳴り出す仕組みだったのを覚えています。

妹は、「お誕生日おめでとう。お兄ちゃん。私は元気です!」
兄は、「誕生日おめでとう。元気にしているか?」
母は、「お誕生日おめでとう。体は大丈夫ですか?」
破りたくなった。何を今更。と思った。

しかし、一緒に入っていた手紙を見た瞬間、涙が溢れてきました。
手紙には、
「あなたも一緒に連れて行きたかった。

でも、あなたが必死に勉強して入った高校を辞めさせる事は母親として出来なかった。

本当にごめんね。

こんな母親でごめんね。もしも願いが叶うなら、

私が死ぬまでに一回だけでいいから、あなたに会いたいです。母より」
と書いてありました。

僕は中学生の時、母親に大学に行きたい。と言ったことを思い出しました。
母は僕が大学に行くには父の所にいたほうがいいと思って、

僕をあえて連れて行かなかったんだと知ったんです。
母にはまだ会えていませんが。
いつか会いに行きたいと思っています。




数を数えるカウンター

すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって
神があなたがたに望んでおられることです。
(Ⅰテサロニケ5:18)

*¨`*•..¸ƸӜƷ¸.•*¨`*•..¸✿¸.•*¨`*•..¸✿¸.•*¨`*•..¸✿¸.•*¨`*

... 算術が得意と言うサラおばあちゃんは、
最近、数を数えるカウンターを持ち歩くようになりました。

「ありがとう」を言った数を数えているのだとか…

 カウンター持ち歩くようになってから、
相性が合わなかった平凡太郎さんと仲良くお話が出来たり、
ありえない状況が次々と起こっているそうです。

常に「ありがとう」を言っているサラおばあちゃんは、とっても♪楽しそう o
(*^▽^*)o~♪
ぼくもカウンター持ち歩こうかなっ…ボソ
                晴也(はれるや)より

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時間銀行

時間銀行のお話です。
_____

次のような銀行があると、考えてみましょう。
...
その銀行は、 毎朝あなたの口座へ86,400ドルを振り込んでくれます。
同時に、その口座の残高は毎日ゼロになります。
つまり、86,400ドルの中で、
あなたがその日に使い切らなかった金額はすべて消されてしまいます。
あなただったらどうしますか?
もちろん、毎日86,400ドル全額を引き出しますよね。
私たちは一人一人が同じような銀行を持っています。
それは時間です。

毎朝、あなたに86,400秒が与えられます。
毎晩、あなたが上手く使い切らなかった時間は消されてしまいます。
それは、翌日に繰り越されません。
それは貸し越しできません。

毎日、あなたの為に新しい口座が開かれます。
そして、毎晩、その日の残りは燃やされてしまいます。
もし、あなたがその日の預金を全て使い切らなければ、
あなたはそれを失ったことになります。
過去にさかのぼることはできません。
あなたは今日与えられた預金の中から今を生きないといけません。
だから、与えられた時間に最大限の投資をしましょう。
そして、そこから健康、幸せ、成功のために最大の物を引き出しましょう。
時計の針は走り続けてます。
今日という日に最大限の物を作り出しましょう。

1年の価値を理解するには、
落第した学生に聞いてみるといいでしょう。

1ヶ月の価値を理解するには、
未熟児を産んだ母親に聞いてみるといいでしょう。

1週間の価値を理解するには、
週間新聞の編集者に聞いてみるといいでしょう。

1時間の価値を理解するには、
待ち合わせをしている恋人たちに聞いてみるといいでしょう。

1分の価値を理解するには、
電車をちょうど乗り過ごした人に聞いてみるといいでしょう。

1秒の価値を理解するには、たった今、
事故を避けることができた人に聞いてみるといいでしょう。

10分の1秒の価値を理解するためには、
オリンピックで銀メダルに終わってしまった人に聞いてみるといいでしょう。

だから、あなたの持っている一瞬一瞬を大切にしましょう。
そして、あなたはその時を誰か特別な人と過ごしているのだったら、
十分に大切にしましょう。
その人は、あなたの時間を使うのに十分ふさわしい人でしょうから。
そして、時は誰も待ってくれないことを覚えましょう。

昨日は、もう過ぎ去ってしまいました。
明日は、まだわからないのです。
今日は、与えられるものです。
だから、英語では今をプレゼント(=present)と言います。
_______

今日の話が、皆様のお役に立てれば幸いですm(_ _)m


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2013年3月14日 (木)

【二つの手】

【二つの手】

人に頼るということは

一人では苦しいからあなたにそばにいてほしい
...

という気持ちになるときです

しかし、期待にそってもらえなかったとき

両手を組んで、誰とも手をつながなくなってしまいます

でも、両手を組んで生きることは

二つの間違いを犯すことになります

一つはあなたを愛してくれる人を見逃すこと

もう一つは、あなたが心から愛したい人を見逃すこと

もう一度、考えてみてください

どんな理屈よりもその温かさは

心地よく癒してくれるのです

『神は私たちに【二つの手】を与えてくれました。

一つは受け取る手、もう一つは与える手です』

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待ち望んだ海外旅行

日本航空の国際線「客室乗務員」(フライトアテンダント)
15年働いているベテランの方のお話です。
この方、
... 経営者や、政治家、プロスポーツ選手など、
これまでに多くの方と一緒のフライトをしてきたんですが、
「私は普通のサービスをしてきたので、特別心に残る事はありません」
と、言った後
しばらくの間を空けて、
少し涙目になりながら、

「たった一回、
自分で考えて、素晴らしいサービスをしたかな~って事があります」

成田発のカナダ(バンクーバー)行きのフライトの、
ビジネスクラスでの出来事です。

飛行機が上昇して行く中、
一人の中年男性が、ジーっと腕を組みながら、
不安そうな、悲しそうな、
とにかく複雑な顔をして、窓の外を眺めていたそうです。

この客室乗務員さんは、
(きっと商売の事を考えて、不安があるのかな~、
それとも、
家族を残して単身赴任で行く事に寂しさを感じているのかな~)

と思い、後で食事やドリンクを出す時に、少しでも明るくなって頂きたく、

(よし、お名前で呼ぼう!)

と、乗客名簿を見たんです。
そしたらなんと、
Mr. & Mrs. (ミスター&ミセス)
つまり、夫婦のお名前になっていたんです!

(奥さんも一緒なんだ・・・、それなら観光か何かかな~・・・
でも、奥さんの姿が見えないなぁ~・・・)

上昇中の飛行機で、まだベルトも外してはイケナイ状況、
トイレに行っているのだろうか?と、走ってその席に向かいます。

「“奥さんドコに行かれたんですか?”
って、聴こうとした瞬間に、
声が出ませんでした・・・」

横の座席に、
シートベルトをした、
黒いリボンのしてある【遺影】が置いてあったんです・・・

はっ!として、

聞いてはイケナイと思ったけど、

「綺麗な奥様ですね。
如何されたのですか?」

って、聞いてしまったと。

そしたら、
「実は、結婚30周年で・・・
初めて海外旅行に連れてってあげようと思っていたんです。
しかし、
突然1ヶ月前に脳内出血で亡くなってしまったんです・・・
旅行自体をやめようと思ったんですが、
息子達が、
“待ち望んでいた旅行をやめると、お母さんが悲しむから
一緒に連れてってあげて”と

さらに、
“横の座席に知らない人が座ったら、お母さんがやきもちを焼くよ”と
それを旅行会社の人に相談したら、
涙を流しながら、
“その座席は奥様の座席です、奥様との思い出の品でも何でも置いて下さい”って
それで、一番子供達の好きだったお母さんの写真を引き伸ばして額に入れて、
シートベルトをして、
飛び立った時に、
“お前の待ち望んだ海外旅行だぞ”って、語りかけたんだけど・・・
返事がかえってこなくて・・・」

そんな心境だったんです。

この方に、何をしてあげる事ができるのかな?って考えたそうです!
機長に相談したら、
「そこに奥様がいると思って接して下さい」と

奥様の好きな赤ワインを出し、
料理も全て、温めて出し、
その飛行機内にあった全てのお花を集めて奥様の【遺影】の前に
「今日からどうぞ、奥様と素晴らしい旅をして下さい」
と、手をあわせた瞬間・・・

飛行機全体に響く声で、
泣きだされてしまった・・・

その後もずーっと泣いていて、
飛行機を降りる時も泣きながら、
「本当にありがとう」と言って、
飛行機を降りていった後ろ姿は、
一生忘れる事は出来ない
_______

「南蔵院住職」林 覚乗さんの講演CDより

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2013年3月13日 (水)

愛を表す10の方法

【愛を表す10の方法】

耳を傾ける   途中でさえぎらずに
話す       相手を責めずに
与える      惜しまずに
祈る         絶え間なく

答える       言い争わずに
分かち合う   本心から
楽しむ       文句を言わずに
信頼する     迷うことなく
赦す       罰を与えずに
約束する    忘れることのないように

   (訳: 舟田 譲二さん)

一度にすべてはできないとしても、
機会あるごとに愛を表すことが大切ですね!!!

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キヤッチボール

「キヤッチボール」


私の父は、高校の時野球部の投手として甲子園を目指したそうですが、

「地区大会の決勝で9回に逆転され

あと一歩のところで甲子園に出ることができなかった」と、

小さい頃良く聞かされていました。


そんな父の影響もあってか、私は小さい頃から野球が大好きで、

野球ばかりやっていました。

父も良くキャッチボールをしてくれました。

そして私は、小学5年から本格的に野球を始め、

高校に入った私は迷わず野球部に入部しました。


ところが、高校入学と時を同じくして、父が病に倒れてしまいました。

その後入退院を繰り返し、

高校1年の冬からはずっと病院に入院したきりになってしまいました。

父の体がどんどん細くなっていくのを見るにつれ、

なんとなく重大な病気なのかなとは感じました。

父は、病床で私の野球部での活動内容を聞くのを一番楽しみにしてくれていました。


そんな高校2年の秋、私はついに新チームのエースに任命されました。

それを父に報告すると、一言

「お前、明日家から俺のグローブ持って来い!」と言われました。

翌日病院にグローブを持っていくと、

父はよろよろの体を起こし、私と母を連れて近くの公園の野球場に行くと言いました。


公園に着くと父は、ホームベースに捕手として座り、

私にマウンドから投げるように要求しました。

父とのキャッチボールは、小学校以来でした。

しかも、マウンドから座った父に向かって投げたことはありませんでした。


病気でやせ細った父を思い、私は手加減してゆるいボールを3球投げました。

すると父は、怒って怒鳴り、立ち上がりました。

「お前は、そんな球でエースになれたのか!?お前の力はそんなものか?」と。

私はその言葉を聞き、元野球部の父の力を信じ、全力で投球することにしました。

父は、細い腕でボールを受けてくれました。

ミットは、すごい音がしました。


父の野球の動体視力は、全く衰えていませんでした。

ショートバウンドになった球は、本当の捕手のように、

ノンプロテクターの体全体で受け止めてくれました。

30球程の投球練習の後、父は一言吐き捨てるように言いました。

「球の回転が悪く、球威もまだまだだな。もう少し努力せんと、

甲子園なんか夢のまた夢だぞ」と。


その数週間後、父はもう寝たきりになっていました。

さらに数週間後、父の意識は無くなりました。

そしてある秋の日、父は亡くなりました。

病名は父の死後母から告げられました。

ガンでした。


病院を引き払うとき、ベッドの下から一冊のノートを見つけました。

父の日記でした。

あるページには、こう書かれていました。

「○月○日  今日、高校に入って初めて弘の球を受けた。

弘が産まれた時から、私はこの日を楽しみにしていた。

びっくりした。すごい球だった。自分の高校時代の球よりはるかに速かった。

彼は甲子園に行けるかもしれない。その時まで、俺は生きられるだろうか?

できれば球場で、弘の試合を見たいものだ。


もう俺は、二度とボールを握ることは無いだろう。

人生の最後に、

息子とこんなにすばらしいキャッチボールが出来て、俺は幸せだった。

ありがとう」





2013年3月12日 (火)

本当に言い訳無用

本当に言い訳無用。
この人を見たら、私には○○できない、とは言えなくなる。

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アメリカの大学の女子ソフトボールで起きたいい話

両チームとも初めての決勝戦という大事な試合で、0-0のまま進行していました。

熱狂した観客は大きな声援をおくっていました。
ランナーを2人おいた場面で、サラという選手がホームランを打ちました。
... 見事なスリーランホームランでした。
4年間続けてきたソフトボールでホームランはまだ一度も打ったことがありませんでした。

彼女はかなり小さい体格なので、
この場面でホームランを打つなんて予想外のことだったのです。
それだけにこのホームランは、
卒業前の最後の舞台で彼女が輝いた瞬間だったのです。
ところが1塁をまわったところで彼女に悲劇が起こります。
興奮いっぱいに走る彼女は、1塁を踏み外してしまい崩れるように倒れてしまいました。
ヒザを故障してしまい全く動けなくなったのです。

もしチームメートやコーチが助けるとホームランは無効になります。
彼女に直接手を差し伸べてしまえばアウトになるため、審判は次のように提案しました。
「ルール上、残された選択肢は彼女を別の選手と交代させ、
3ランホームランではなく、2点タイムリーヒットとして記録する。」
コーチは「わかりました」と告げました。

彼女にとって4年間で初めてのホームランでしたが、他に選択肢は無いと思われました。
すると相手チーム選手が
「私たちが彼女を運んでベースにタッチさせてもいいでしょうか」と言いました。
相手チームの2人の選手が彼女を持ち上げ、
確実に彼女をベースに踏ませながらゆっくりと回りました。
もう、どちらが勝つかというのは重要なことではありませんでした。
3人がホームベースにたどり着いた時、球場の歓声と拍手は鳴り止みませんでした。

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お母さん

全身の筋力が徐々に失われていく難病・筋ジストロフィー。

  二歳でその診断を受け、四十年近くもの闘病生活の中で、

  生きる意味を問い続けてこられた藤本猛夫氏の

  記事がいま大きな反響を呼んでいます。

本日はその記事の一部をご紹介します。


  「お母さん」

       藤本猛夫(作家、詩人)
           
           『致知』2013年4月号 特集「渾身満力」より



  藤本さんの実家は藺草(いぐさ)の専業農家。

  日中は畑仕事にかかり切りになるご両親は、

  ベッドから一人で起き上がることも、車椅子に乗ることもできない

  藤本さんの面倒を見ることができず、

  七歳の時、断腸の思いで病院に預ける決断をした。

……………………………………………………………………………………

入院した日のことはいまでも忘れられません。

「帰りたい」って泣き叫ぶ私を残して、

父と母は看護師さんに促されて病室から去っていきました。


私は保育士さんに抱きかかえられて、

二人の寂しそうな後ろ姿を、窓からじっと見つめていました。


毎晩消灯を迎えると、両親のことが恋しくなるから、

「家に帰る」って泣き叫びましたね。


でもありがたいことに、病院のスタッフの方々が

私のことをとても温かく迎えてくれました。


他の患者仲間たちともたくさん遊んだり、

喧嘩をしたりしながら、深い関わりを持って

生活することができました。


だからこの病棟は私の家で、

一緒に暮らしている人たちは

家族のように思っているんです。


周囲の支えのおかげで、特に病気を

意識することもなかったんですが、

養護学校の小学部を卒業する少し前に、

呼吸する筋力が衰えて人工呼吸器を離せなくなり、

それまで休んだことのなかった学校を

二週間以上も休みました。


その時に、自分の人生は長くないんじゃないかなとか

思ったりして、初めて死というものを

見つめるようになったんですね。


毎週末には両親が自宅から車で一時間半もかけて

見舞いに来てくれていました。


体調がなかなか回復しなくて、

いらだちを募らせていた私は、

母がつくってきてくれたお弁当を

「食べたくない!」って

ベッドのテーブルから払いのけてしまいました。


母は「元気そうでよか」と言いながら、

床に散らばった好物のハンバーグとか

唐揚げを片づけてくれ、帰って行きました。

病室を出ていく母の背中を、

私はやりきれない思いで見送りました。

……………………………………………………………………………………

  そんな藤本さんの心を癒やしてくれたのが詩歌だった。

  藤本さんの通った病院に隣接する養護学校には、

  詩歌を専門とする教師が在籍していた。


  中学部の一年の時、「母」をテーマに

  詩を書くことになりました。

  私は、週末になる度に手づくりのお弁当を持って

  見舞いに来てくれる母の優しい笑顔を思い浮かべながら、

  こんな詩を綴りました。

……………………………………………………………………………………

「お母さん」


 母さんは

 にこにこして病棟にくる

 やさしさが顔にあふれていて

 ぼくは美しいと思う

 ぼくの心はシャボン玉のようにはねてくる

 母さんがいぐさの話をするとき

 母さんのひとみは光っている

 仕事にほこりをもっているんだろう

 ぼくたちは散歩に行く

 母さんはすいすいと車いすをおしてくれる

 みなれた風景だけど

 母さんがいると変わってしまう

 時間がとぶように流れる

 「じゃ またくっけんね」

 ふりかえり ふりかえり

 母さんはかえった

 ぼくは小さい声で

 「母さんのカツカレーはうまかったよ」

 と、言ってみた


これは病気の私をここまで育ててくれた

母に対する感謝の気持ちであり、

母だけでなく父も含めた家族への思いです。


この詩がたまたま熊本県の子供の詩コンクールで

最優秀作品に選ばれて、あるお寺からのご依頼で、

石碑に刻まれ境内に建立されています。




2013年3月11日 (月)

あなたの運命は

 【 あなたの運命は

      いまの習慣でつくられる 】


今のあなたの習慣をみつめると

未来のあなたがみえる


「いつか、習慣を変えようと思ってる」

「きっといつか、だれかが、

キッカケを与えてくれるだろう」

はいつまでも来ない


自ら運命をつくっていくのは

今、決めるしかない


まずは小さい習慣から

少しの間だけでも

はじめてみよう

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隆祥館書店

大阪市に隆祥館(りゅうしょうかん)書店という小さな本屋さんがある。


わずか15坪の店で、

外から見たら、どこにでもあるような普通の町の本屋さんにしか見えないし、

立地も決して恵まれた場所にあるわけではない。


しかしこの店は、ただの小さな本屋さんではない。

数年前には「LEON」という男性誌を大阪で1番売った。

100倍以上規模が違う大型書店が大阪には何店舗もあるにもかかわらずだ。

またこれぞという新刊は、数百冊売ることも珍しくない。

小さくても光り輝いている店なのだ。

それを可能にしているのが、父親から引き継いだ営業部長の二村知子さんの接客だ。


二村さんは、話しかけてほしくなさそうな人を除いては、

来るお客さんほとんどに話しかけてコミュニケーションをとる。

その会話の中で得た情報を二村さんはきちんと記憶している。

次に来てくれた時にはそのことを話す。

すると、お客さんは覚えてくれていたんだと喜ぶ。

さらに会話が弾んでいろいろな話をするようになる。

そのようなやりとりをしているうちに、お客さんにとって隆祥館書店は特別な書店になる。


二村さんの頭には、2000人ものお客さんの趣味や嗜好などの情報がインプットされている

常連客になった人には、その人が好きそうな新刊や雑誌を勧める。

かといって押し売りのようなことをするわけではない。

そんなことをしていたら、お客さんは離れていくだけだ。


二村さんはその勧め方が抜群にうまい

何より、その本を読むことでお客さんが何か新しい発見があるようなものを勧める。

本の問屋である取次から、翌月に出る本の速報が届くと、それを1冊1冊すべてチェックする。

お客さんの誰かが興味を持ちそうな本がないかを調べるのだ。

その上で、そのお客さんが来た時に「こんど、

○○さんの好きな××に関する本が出ますよ」と教えてあげる。

すると二村さんに共感しているお客さんは、そう言われると喜んで買う。

ポイントは、あくまでお客さんのためを考えてオススメするという点だ。




人生7つの基本原則

◆人生7つの基本原則◆
...

1. 【過去は過去】
   あなたの過去と“平和協定”を結びなさい。
   そうすれば、過去が現在をかき乱すことはない。
2. 【他人は他人】
   他人があなたをどう思うかなど、知ったこっちゃない。
   一切 気にしないこと。
3. 【時は妙薬】
   “時”はほとんど全てのものを癒やす。時を待ちなさい。
4. 【比較は禁物】
   自分の人生を、他人と比べないこと。
   そして彼らを批判しないこと。
     彼らの旅がどんなものか、あなたは知るわけがない。
5. 【考えすぎはご法度】
   あまり考えすぎないこと。答えを知らなくてもいい。
   それは、あなたが期待しないときに、来るものだ。
6. 【幸せは自分の手で】
   あなたが幸せになることに、“責任者”は誰もいない
   ――あなた以外には。
7. 【笑う門には…】
   ほほ笑んで。
   あなたは世の中のトラブルを、独りでしょい込んでるわけじゃない。
  以上、すべからく実行して、あなたの人生を豊かにすべし
                 訳 小川政弘さん

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2013年3月10日 (日)

犬の10か条

【犬の10か条】 
犬の立場から飼い主にしてほしいと願う事柄を述べています

1、私と気長につきあってください。
2、私を信じてください。それだけで私は幸せです。

3、私にも心があることを忘れないでください。
4、言うことをきかないときには理由があります。
5、私にたくさん話しかけてください。人のことばは話せないけど、わかってます。
6、私をたたかないで。本気になったら私のほうが強いことを忘れないで。
7、私が年を取っても、仲良くしてください。
8、私は十年くらいしか生きられません。
  だからできるだけ私と一緒にいてください。
9、あなたには学校もあるし友達もいます。でも私にはあなたしかいません。
10、私が死ぬとき、お願いです、そばにいてください。
   どうか覚えていてください、私がずっとあなたを愛していたことを。

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きみは、愛されている

きみは、苦しむために
この世に 生まれて きたんじゃない。

生きることの すばらしさを
味わうために この世に 生まれて きたんだ。

...
だれも きみを
苦しめる ことなんて、できない。

きみは、自分で自分を
苦しめている だけなんだ。

「もう、苦しまなくて いいよ」
そう、自分に 言ってあげなさい。

きみは、愛されている。
うそじゃない。

ほら、こうして 生きているってことが、
その証さ!

生きているのが、つまらないなんて
言わないで!

花は、なぜ、あんなに きれいなの?
空は、なぜ、あんなに 青いの?

夕やけは、なぜ、
あんなに 美しいの?


星の かがやき、
流れる 雲を 見てごらん

人は、なぜ、ほほえむの?
人は なぜ 泣くの?

愛って、なあに?
人生って、なあに?

この世には、美しいものや ふしぎなことが
こんなに たくさんあるんだ。

ちっとも つまんなくなんか、ないでしょう?
γ⌒ ヽ
(ハヽヽ)  応援するよ♪
σ^マ^ノσ 人形の晴也(はれるや)より




2013年3月 9日 (土)

柔道:松本薫選手

以前は、人と自分を何かと比べてしまっていたのですが、

いまの私が誰かと自分を比べるとしたら、それは過去の自分です。


例えば、「きのうの自分はこれができなかったけど、

きょうはこれができた」、

「去年の自分はここまでしかできなかったけど、

今年の自分はこれができる」という感じです。


人と比べると無駄な嫉妬に繋がって、いいことは一つもありません。

それに、このことは自分らしさを確立することにもつながると思っています。

  (松本薫:女子柔道選手)

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松本薫選手が金メダルを取れた理由

「松本薫選手が金メダルを取れた理由」 

   稲田明氏(帝京豊郷台柔道館館長)


  稲田氏とレスリング吉田沙保里選手の父、吉田栄勝氏との
   対談記事の一部をご紹介します。  

     『致知』2013年4月号  特集「渾身満力」より  


【稲田】吉田沙保里さんもそうだと思いますが、
    松本薫の場合も金メダルを取るための練習をやってきた。

    2位、3位じゃダメだ、
    自分はそれだけの練習をやってきたんだ、
    なんで負けられるか
    という気持ちで戦ったと思うんですよ。

    それが結果に繋がったんでしょうね。

    柔道には体重別の階級制がありますが、

    あの子の場合はパワーもスピードも必要
    だということで、一日にあらゆる階級の
    選手を相手にするんです。

    また他の選手がぶっ続けでこなす
    30分のメニューを、松本はさらに
    2セット多くやる。要するに3倍ですね。

    何がなんでも金を取りたい、
    取るためにどうすればいいのか、
    それを自分で考えてできる選手なんです。

【吉田】そういう選手は伸びますね。

【稲田】実は彼女の帝京大時代にもこんなことがありました。

    ひと月に数回だけ指導に来る
    偉い先生がおられたんですが、
    その方が道場の隅で話をしている選手に
    「おい、何を話しとるんだ! 練習やらんか」
    と大きい声で言われたんです。

    すると真面目に練習していた
    松本がやってきて、

    「先生、柔道は言われてやるものじゃないですよ。
     自分の意志でやるものです」

    と言ったんです。

【吉田】ほぉ。

【稲田】もう私、びっくりしましてね(笑)。

    自分なんかは話もできないような先生ですよ。
  
    本人は一所懸命やっとるもんですから
    耳障りだったんでしょう。

    彼女はそれくらいの強い意識で
    練習に臨んでいる。
    それがあの目に表れています。

【吉田】やっぱり自分の目標を自分でつくって
    挑むことが大事ですね。

    私も沙保里にはレスリングに対する情熱が
    なくなったら、もうやめなと
    言ってあるんですよ。

    人の邪魔になる、人に迷惑を掛けてまで
    やる必要はないと。

    アテネ、北京、ロンドンで金を取ったのは
    あくまで過去の問題で、
    いま現在メダルを取ろうと皆が頑張っている中で、
    嫌だと思いながら練習をするくらいなら
    やめたほうがいい。

    やる以上は世界の頂点を目指し、
    四つ目の金を取る覚悟で頑張んなって。




2013年3月 8日 (金)

 「重要なのは行為そのもの」

 「重要なのは行為そのもの」


明日、死ぬと思って生きなさい。

永遠に生きると思って学びなさい。

幸せとは、
あなたが考えることと、
あなたが言うことと、
あなたがすることの、
調和が取れている状態である。
...

… 重要なのは行為そのものであって、
結果ではない。

行為が実を結ぶかどうかは、
自分ではどうなるものではなく、
生きているうちにわかるとも限らない。

だが、
正しいと信じることを行いなさい。

結果がどう出るにせよ、
何もしなければ、
何の結果もないのだ。

マハトマ・ガンディー

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「お陰さま」の人生を歩みたい

「病気が早く治る人」と「なかなか治らない人」の違いって、何だと思う?

それはね、人から体調を聞かれたとき、どう答えるかなんだよ。


例えば、ある病院に、二人のおばあさんが入院しているとするよね。

二人とも、同じ病気を患っていて、病気の進行具合も同じなんだよ。


お見舞いの人が、「あばあさん、体調はどうですか?」って聞いたとき、

一人のおばあさんは笑顔でこう答えたの。

「おかげさまで、昨日よりだいぶ良くなりました」

もうひとりのおばあさんは、顔をしかめて、こう答えたんだよ。

「お腹の痛みは治まったんだけど、まだ腰が痛くてね…。

これ、いつになったら、良くなるのかしらね?」


この二人のおばあさんは、どちらが早く治ったと思う?

「おかげさまで、だいぶ良くなりました」って答えたおばあさんの方が、

治るスピードがずっと早いんだよ。


病気が良くならない人の特徴って、「まだ、ここが…」って答えるの。

自分の体調がいちばん良かったころと比べて、「あそこが痛い…」

「ここが痛い…」って、痛いところを探しては、ずーっと言っているんだよ。


痛い痛い…って言ってる方もイヤだけど、聞いてる周りの人もつらいよね。

いくら自分が痛くても、

人の気持を暗くするようなことばかっかり言っている人って、天が味方してくれないよ。

天が応援してくれるのは、

治ったところを見つけて感謝して、「おかげさまで」って言える人なんだよ。


「おかげさまで」という言葉は、漢字にすると「お陰さまで」になるよね。

これって、「陰で動いたすべての力に感謝する」っていう意味なの。

いま自分が生きているその裏で、たくさんの人の力が働いているから、

生きていられるんだよね。

【人の心に灯をともす】 より


どんなにつらい状況にあっても、そこから「いいこと」を見つけ出せる人は、

格段に早く「つらい世界」から抜け出すことができる。

「悪いこと」「嫌なこと」を探し、<愚痴や不平不満、泣き言>、を言えば言うほど、

「つらい世界」にどっぷりはまる。

そして、まわりに不幸を拡散する。


暗い話で人の気持を冷やすのか、明るい話で人の気持をあたたかくするのか。

どちらに焦点(しょうてん)をあてるかで、人の生き方は全く変わってくる。

「いいこと」を見つけるのが上手な人は、

「お陰さま」と、どんなことにも感謝できる謙虚な心を持っている。

「お陰さま」の人生を歩みたい。





2013年3月 7日 (木)

不登校の女の子

【不登校の女の子】

その女の子は、学校に行かずに行ったふりをしていました。
その子は心が優しかったので、親に心配をかけたくないという気持ちから、
学校に行ったふりをして時間をつぶしていました。

... いつも、近所で畑を耕しているおじさんを毎日見ていました。
すると、おじさんは『毎日ずっと見てるけど手伝うかい?』 と女の子に言いました。
女の子はトマト作りに必要なことをすべて学びとり、
一人でもトマトが作れるようになりました。

彼女が一人で作ったトマトの収穫の日が来ました。
おじさんは食べてみて、
『このトマト本当に美味しいなあ。
きっと世界中の誰もが食べたいと願うトマトだよ。
きみは世界から必要とされているわけや。』 と言いました。

次の日から彼女は学校へ行くようになりました。
『なぜ学校へ来るようになったの?』
と聞かれ、彼女は
『だって私、美味しいトマト作れるもん。』
と笑って答えました。

人から必要とされるものを身につける。
自分は人のためになっているという自信を持てたとき、
人は生きがいを感じるものです。

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「素直な心」の10箇条

【「素直な心」の10箇条】(by 松下幸之助)

1) 私心にとらわれない: 私利私欲にとらわれることのない心、
   私心にとらわれることのない心
2) 耳を傾ける: だれに対しても何事に対しても、謙虚に耳を傾ける心
3) 寛容: 万物万人いっさいをゆるしいれる広い寛容の心
4) 実相が見える: 物事のありのままの姿、
   本当の姿、実相というものが見える心
5) 道理を知る: 広い視野から物事を見、その道理を知ることのできる心
6) すべてに学ぶ心: すべてに対して学ぶ心で接し、
   そこから何らかの教えを得ようとする謙虚さを持った心
7) 融通無碍: 自由自在に見方、考え方を変え、
   よりよく対処してゆくことのできる融通無碍の働きのある心
8) 平常心: どのような物事に対しても、平静に、
   冷静に対処てゆくことのできる心
9) 価値を知る: よいものはよいものと認識し、
   価値あるものはその価値を正しくみとめることのできる心
10) 広い愛の心: 人間が本来備えている広い愛の心、
   慈悲の心を十二分に発揮させる心

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2013年3月 6日 (水)

育てる

【育てる】


人、動物、植物など

育てるということは素晴らしいことです
...

育ってくるのを見ていると

とても嬉しくなります

そして、自分も成長できます

愛情をかけた分だけ

大きなエネルギーが

返ってきているんでしょう

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で、何が問題なんですか

   出典:小林正観著 『で、何が問題なんですか』弘園社


北海道の登別温泉に、

1.200人収容という世界最大の観光温泉旅館・第一滝本館というのがあります。


昭和2年に、南外吉(みなみそときち)という人が買いとったものです。

南外吉は、空知川のたもとで船運、水運会社を経営していたんですね。

東京方面から物資を運んできた大きな船が河口を上れないので、

小船に物資を載せ替えて札幌近辺まで積んできて、

下りも農作物を運び、その両方の船賃を得ていたので巨万の富を築いていた。


でも、台風で洪水にあって倉庫も船も流されて無一文になってしまうんですね。

それで、お金に困った外吉は、札幌で風呂屋の三助さんをすることになりまして、

公衆浴場のお客さんの背中を流しながら釜焚き男をやるんですね。

そのうち、札幌の家々が個人でお風呂を持つようになって、

公衆浴場がたちゆかなくなったんです。

「閉鎖するから、あんたも辞めてくれ」と言われ辞めさせられた。


今度は、北見の方に300坪の土地を借りまして、大豆の作付けをするんですが、

それが大豊作だったため、

翌年には全財産をはたいて3000坪の土地を借りて同じように作付けをしていたら、

今度は大雨で全然収穫ができなくなって、

また無一文になり、それどころか借金を抱えてしまうんです。


その後は、息子を旅館に養子にやっていたので、息子にやっかいになるかたちで、

その宿の下男という仕事で、

自分の上司が息子という状況で勤めることになりました。


苫小牧の駅前で、

旅館の案内をするために吹雪の中ずーっと立って客を待っていたそうですね。

列車の着くとき南外吉の姿がないときはなかったそうです。


明治の初期、登別温泉に2軒の旅館があって、

滝本さんという老夫婦が2人で5室ほどの旅館を経営していたんですが、

全く後継者がいなくて「誰か買ってくれる人はいないか」と言っているときに、

たまたま登別森林軌道の社長がいて

「あんた、滝本館を買わないか」と外吉にもちかけたんです。


一方は小さな旅館の釜焚き男、一方は森林軌道の社長、

どこに接点があったのかというと、

この社長は、毎日毎日吹雪の中でも必ず駅で立ちつくして

客を待って呼んでいる外吉の姿をずーっと見ていたんですね。


外吉が「私は釜焚き男をしていて蓄えなどないし、

そういうお金はないから…」とその申し出を断ったら、

その社長は「そんなのはわかっている。

私が全部貸してあげるから、お金ができたら返してくれ」と言った。


外吉は滝本館を買いとって、その結果、

なんと5室の滝本館を30年間に400室の世界最大の温泉旅館にしたんです。

こうして大成功者となったのです。


外吉という人は、夜12時前に寝たことはなく、

朝は午前4時以降に起きたことはなかったそうです。

どんなにひどいときであっても、いつもニコニコして働き者であったそうです。

投げやりになるなんてことは、まったくなかったそうです。


空知川の不運、これを不運というのか。

ここで潰されてなければ世界最大の第一滝本館はなかった。

公衆浴場が順調にいっていたら、世界最大の第一滝本館はなかった。

大雨で大豆が全部ダメになった。

ここで潰されてなければ世界最大の第一滝本館はなかった。

投げやりになったり、人生を投げ出したりしなかったから、

そういうのを見ていた人が現れた。


その結果、登別の旅館を買わないかという話をもちかけられた。

どこかにこの人の〈失敗〉というのがあるのでしょうか。

どこに不運というのがあるのでしょうか?

このような話を知っているのと知らないのとでは、人生、全然違いますね。

倒産するとかは関係ないんですね。


外吉がものすごく大きな足跡を残したというのは、

旅館を5室から400室にしたことではなく、

どんなときでも愚痴を言ったことがないんです。

いつもニコニコと、どうしてそんなにひどい目に4回も遭ったのに、

何でニコニコしていられるのか。


外吉は、〈不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句〉を言う人ではなかった、

ということです。

いつも自分に与えられた運命の中で、ずーっとただひたすらやり続けた人だった。


人一倍大きな飛躍する人には、

人一倍大きな一般的に言う挫折・つらいことが来ます。

そのときに、ぐずぐず〈不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句〉…

これらを〈五戒〉と言いますが…を口にするかどうかを、

実は神さまから問われている。


倒産がいけないとか、倒産がひどいというのは、すごい狭い考え方をしていますね。

職業なんか何をやってもいい。

どんな所でもいいんです。

いかに〈五戒〉を言わずに笑顔で生きているか、を常に神さまから見られているんですよね。

【人の心に灯をともす】 より


どんなにひどい目にあっても、

五戒という〈不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句〉を言わないこと、

それが運を好転させる唯一の法則。

これは、倒産とか、病気とか、挫折、といった、「つらいこと」すべてに言えること。

病気になった、希望の学校や会社に入れなかった、事故にあってしまった、

リストラされた…

世をのろいたくなるような、ありとあらゆる不運に対し、自暴自棄にならず、

ニッコリと笑って目の前の仕事や生活に一所懸命努力する。


人生の問題はすべて、神さまからの「問い」であり、「試されごと」。

〈五戒〉を言わず、ニッコリと笑顔で生きていきたい。



ちゃんと、分かっている方がおられる

喜ぶ者といっしょに喜び、泣く者といっしょに泣きなさい。

 聖書 (ローマ 12章15節) 
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ある文筆家が
ファミリーレストランで仕事をしている時のことを書いているの読みました。

隣のテーブルに、親子が座ったんです。

 妙に若作りしてる茶髪のお母さんと、中学一年生ぐらいの兄、
そして小学校低学年ぐらいの妹です。

母「ほら! 早く決めなさいッ! ったく、トロいんだから!」
子どもがなにをしても、怒鳴りつけるんです。

妹「それじゃ、わたしカレーにするー」
母「そ。わかった」
妹「わたし、カレー好きー」
母「うるさいな! そんなこと聞いてないでしょ?!」

 お兄さんの方は、もうこのお母さんに呆れてるのか、
無表情でそっぽ向いたまま、一言も喋ろうとしません。
注文を決める時もメニューを指さしただけ。

 料理が届いてからも、お母さんはキレっぱなし。

妹「いただきまーす」
母「黙って食べなさい」
妹「……ショボーン(´・ω・`)」
兄「…………」

 ただカチャカチャと鳴り響く、食事の音。
さっさと自分だけ平らげた母親は、タバコ吸いながらケイタイをいじり始めました。

 すると突然、妹が明るい顔をして口を開いたんです。
妹「あ、そだ、お母さん! 聞いて聞いてっ! あのね! えとね! 
今日、学校でね、とってもいいことが……」
母「うるさい! 食べてる時は騒がないの! 周りの人に迷惑でしょ!」

 怒鳴られてびっくりした妹が、カレーをテーブルに
ほんのちょっと落としちゃったんですが…
母「あーもー! 汚いな! なんでちゃんと、食べられないの?! 
綺麗に食べなさい! 綺麗に! あーもームカツク!」
妹「うう…ごめんなさい……」

 ブツブツ文句いいながら、母親はケイタイをいじくっている。
 妹は涙目。兄は一言も喋らずに、黙々と食べています。
 まるでお通夜みたいな雰囲気に包まれたテーブル。

 すると。母親のケイタイが鳴り始めました。
母「ちょっと、お母さん、電話してくるから。サッサと食べちゃってね」
そう言い残して、ケイタイ片手に母は店から出ました。

 その子は、涙目のまま、一生懸命カレーを食べてたんです。
お母さんの言いつけを守りたいから、
ゆっくり食べていたら怒られてしまうから……
味わう余裕もないぐらい、急いで食べてたのです。
 でも。
もともと、食べるのが遅い子なのでしょう。焦っているからか、
口の周りをべそべそに汚してしまっていて……
きっと、それをまた怒られてしまうのに、それすらも気付かずに
必死にカレーをかき込んでいたんです。
目にいっぱい涙を溜めて。一生懸命に。

 そのとき。
一言も喋らなかった兄がボソッと言ったのです。

兄「……そんなに急がなくてもいいよ」
妹「え?」
兄「ゆっくり食べな」
妹「で、でも……お母さんが」
兄「いいから。好きなんだろ、それ」
妹「うんっ」

 兄は、チラッと母親が出て行った出口の方を確認しつつ…
兄「で? なにがあったって?」
妹「???」
兄「学校でいいことあったんだろ」
妹「う…うんっ! あのね! えとね! 今日学校でね!」

 妹は、楽しげにしゃべり始めました。
他愛もないことだったんですが、とっても嬉しそうに。
きっと、聞いてもらえるだけで嬉しいんでしょう。
さっきまで涙目だったのに満面の笑みを浮かべています。

 兄は、にこりともせずに話を聞いてあげていたのですが、
兄「そっか。良かったな」
と言って、妹のべそべそになった口元を拭いてあげたのでした。

¸.•♥•.¸¸¸.•♥•.¸¸¸.•♥•.¸¸¸.•♥•.¸¸¸.•♥•.¸

 誰かが自分のことを分かってくれている、
それは本当に嬉しいことだと思います。
何よりも嬉しいことじゃないかと思います。

誰も分かってくれる人がいないと思う時でも
ちゃんーんと、分かってくださってる方がおられます。
Jesus loves you.
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2013年3月 5日 (火)

笑顔の力

   【笑顔の力】

不満を言わない

怒らない

批判しない

イライラしない

...
笑顔でそこにいる

それだけで

誰かの役に立っているかもしれない

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人生に絶望なし

  「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない」

         中村久子さん

その少女の足に突然の激痛が走ったのは3歳の冬である。

病院での診断は突発性脱疽。肉が焼け骨が腐る難病で、

切断しないと命が危ないという。


診断通りだった。

それから間もなく、少女の左手が5本の指をつけたまま、

手首からボロっともげ落ちた。


悲嘆の底で両親は手術を決意する。

少女は両腕を肘の関節から、両足を膝の関節から切り落とされた。

少女は達磨娘と言われるようになった。


少女7歳の時に父が死亡。


そして9歳になった頃、

それまで少女を舐めるように可愛がっていた母が一変する。

猛烈な訓練を始めるのだ。

手足のない少女に着物を与え、


「ほどいてみよ」


「鋏の使い方を考えよ」


「針に糸を通してみよ」。


できないとご飯を食べさせてもらえない。

少女は必死だった。

小刀を口にくわえて鉛筆を削る。

口で字を書く。

歯と唇を動かし肘から先がない腕に挟んだ針に糸を通す。

その糸を舌でクルッと回し玉結びにする。


文字通りの血が滲む努力。

それができるようになったのは12歳の終わり頃だった。


ある時、近所の幼友達に人形の着物を縫ってやった。

その着物は唾でベトベトだった。


それでも幼友達は大喜びだったが、

その母親は「汚い」と川に放り捨てた。


それを聞いた少女は、

「いつかは濡れていない着物を縫ってみせる」と奮い立った。

少女が濡れていない単衣一枚を仕立て上げたのは、15歳の時だった。


この一念が、その後の少女の人生を拓く基になったのである。


その人の名は中村久子。

後年、彼女はこう述べている。


「両手両足を切り落とされたこの体こそが、

  人間としてどう生きるかを教えてくれた

 最高最大の先生であった」


そしてこう断言する。

「人生に絶望なし。いかなる人生にも決して絶望はない」

……………………………………………………………………………
* 中村久子さんについて詳しく知りたい方に ── 感動の1冊
……………………………………………………………………………

   『四肢切断 中村久子先生の─生』

    黒瀬昇次郎 (著) 1,050円(税込)

http://shop.chichi.co.jp/item_detail.command?item_cd=322&category_cd=



2013年3月 4日 (月)

 「変わる」

    「変わる」

もう元には戻れない。
だったら、元に戻ろうとなど
しなければいいのだ。
どんどん変わっていくしかない。
    (by 谷村志穂)

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私が1番嬉しかったことは

  「私が1番嬉しかったことは」

女の子がお母さんと2人で暮らしていました。

お父さんが病気で亡くなってしまい、親子は貧しい生活を強いられていました。


女の子はとても歌が上手かったので、周りの人からは

「ぜひ、本格的に歌の勉強をさせた方がいい」と言われていました。


しかし、専門の学校に通わせるためには、お金が足りません。

「何とか勉強させてあげたい」と思ったお母さんは仕事から帰った後、

夜中まで内職をすることにしました。

子どもに歌の勉強をさせるために、

早朝から深夜まで、疲れた体を休ませる間もなく必死に働きました。


一方、女の子もお母さんが無理をして、夜中まで働いているのが分かっていました。

手は荒れて、辛そうに咳(せ)き込むことも多く、

内職をしたままの姿勢で眠っている姿を見ることもあったからです。

そんなお母さんの姿を見て、

女の子も期待に応えたいと思い、一生懸命、歌の勉強に励みました。


数年後。

その努力が報われて成長した女の子は、

有名なコンクールに出場し、優勝しました。


喜んでいる彼女に司会者が

「あなたが今までで1番嬉しかったことは、この賞をもらったことですか?」

とたずねると、大きく首を振りながら

「いいえ。私が1番嬉しかったことは、

母に『もう内職はしなくていいんだよ』と言えたことです」と答えました。


「あなたにとって、お母さんはどんな人でしたか?」

と聞かれた彼女は

「母は私に自分の持っているものを全て与えてくれました」

と目に涙を浮かべながら答えました。




2013年3月 3日 (日)

看板のない居酒屋

居酒屋に限らず、商売をやっている人は

「どうやってお客さんにきていただこうか」ということを考えていると思います。

でも、長い間、おふくろと一緒に仕事をしていた私は、

ちょっと違うことを教えてもらっていました。


それは、こういうことです。

「商売とはいかに来てもらうかではなく、いかに帰ってもらうか」

いかに来てもらうかを考えると、

宣伝したり、大きな看板を出したり、安売りしようと考えます。


でも、おふくろはいつでも

「いかに帰ってもらうか」だけを考えていたのです。

岡むら浪漫の、そして私のポリシーでもある

「宣伝しない」「看板出さない」「入り口わからない」「100%口コミのお店をつくる」

ということも、この教えが原点になっています。


おふくろはいつもこう言っていました。

「また来たいと思ってもらえたのか。

喜んで帰ってくれたのか。

もう来ないと思われたのか。

どんな気持ちで帰ってくれたか。

―――それが大事なんだよ」


いかに帰ってもらうかを徹底して追求したら、いかに来てもらうかは考えなくていい。

お客さんに喜んで帰ってもらうことだけ考えたらいい。

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どん底で私を救った二つの聖句

  「どん底で私を救った二つの聖句」
    山崎比紗子(ヒサコヤマサキ ネイルスクール学院長)
      『致知』2013年3月号
         「第一線で活躍する女性」より

三菱銀行を結婚退職し、
一児の母として普通の主婦をしていました。

ところが二十六歳になる直前のこと、夜中に倒れ、
朝まで意識不明のまま。夫が起きてきて私を見つけ、
救急車で運ばれたのですが、私がそこで少し気がついたのか、
お医者様の声がかすかに耳に入ってきたんです。

「あなたはもう棺桶に足を半分突っ込んでいます。
 助かるかどうかは気力だけですね」と。

子宮外妊娠だったんですが、当時は発見が遅れて、
二人に一人は出血多量で死亡していたんです。
私は危機一髪、運よく輸血が間に合い手術も成功し、
助けていただきました。

ただその後が大変でした。

何かの瞬間ふっとお医者様の声が耳に蘇る。
すると急に体が硬直したり目まいがしたり
震えが止まらなかったりするんです。

それから二年間は病院通いの毎日でした。
いろいろな症状が出るので苦しくて心配になり、
あちこちの病院に行っては薬を貰い、
いいと言われる健康食品を買い込む。

なんの希望もなく、ほとんど家の中で
寝たり起きたりの状態でした。

     * *

ある日突然見知らぬご婦人二人が
我が家の玄関に立たれました。
そしてそれぞれの方が一枚ずつ、
白い紙をそっと玄関先に置いていかれたんです。

お二人はご近所の方々で、病気で寝込んでいる
私のことを知り、わざわざお見舞いに来てくださったんです。

紙の一枚にはこう書かれてありました。

「明日のことを思いわずらうな
 明日は明日自身が思いわずらうであろう
 今日の苦労は今日一日で十分である」。

そしてもう一枚は

「心を尽くし精神を尽くし 
 力を尽くし思いを尽 くして 
 主なるあなたの神を愛せよ 
 また自分を愛するように 
 あなたの隣人を愛せよ」。

その二つの聖句を見た時、
涙がとめどもなく溢れ出ました。
一体今日まで何をクヨクヨと思い悩んでいたのだろう。

私はただ治りたい、元気になりたいと
自分のことばかり考え、家族や周囲の人たちに
迷惑や心配をかけていたのに全く感謝もせず、
その上自分の不幸を嘆き悲しんでばかりいた。

そんな自分がとても情けなく、
恥ずかしくてたまりませんでした。

今日のことは今日生きているだけで十分なのに、
なぜ明日のことまで思い煩うのか。

今日一日精いっぱい生きなくてはいけないのに、
なぜ明日具合が悪くなったらどうしよう、
死んだらどうしようなんて考えるのか……。

私はなんて馬鹿な生き方をしてきたんだろうと
猛烈に反省しました。

当時は老婆みたいにガリガリに痩せていましたが、
こんな私だけど力いっぱい生きよう、
とにかく今自分が変わらないといけない。

そんなことを思いながら、
その場にへたり込んで号泣しました。
あの時に病気も洗い流されていったのかもしれませんね。




2013年3月 2日 (土)

目的は自分で決める

【目的は自分で決める】


無目的でやった成功は、まぐれだと思えるからその体験は身につかない。

無目的でやった失敗は、自信を失い劣等感の原因となる。


人に言われた目的で成功した場合は手ごたえがなく喜びや満足感が薄い。

人に言われた目的で失敗した場合は人のせいにしてしまい

成長することが出来ない。


自分が決めた目的が成功した場合は喜びと満足感に溢れ、自信となる。

自分が決めた目的で失敗した場合はそれは失敗ではなく、

人生の貴重な体験として活かされる。

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目の不自由な人のSOS

「目の不自由な人のSOS」

「白杖頭上50㎝のシグナル」


困った時の合図です。

すすんで声を掛けてください。

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夢を実現するには遅すぎるなんてことはない

「夢を実現するには遅すぎるなんてことはない」


初めての授業で、教授は自己紹介をし、

「今日は知らない人と友達になりなさい」という課題を出した。


私は席を立ち、周りも見回した。すると突然誰かが私の肩を叩いた。

振り向いてみると、なんとそれはお婆さんだった。彼女の笑顔は光って見えた。


やあハンサムボーイ。私はローズよ。87歳なの。ハグしても良い?」

私は笑い、とても喜んで「もちろん!」と答えた。

彼女は自分をぎゅっと抱きしめてくれた。


「お婆さん、なんでまだそんな若くてキレイなのに大学で勉強してるんだい。」

「もちろんここでお金持ちの男を見つけて、結婚して、子供をたくさん産んで・・」


「ははは。いや、本当は?」


私は彼女がどうしてこの歳で大学生になろうと思ったのかが気になっていた。

いつか大学生になりたいと思ってたの!

それで、やっと夢が叶ったわ!」と答えてくれた。


授業が終わった後、私達は一緒に食堂に行き、チョコレートシェーキを食べた。

私達は一瞬にして友達になった。

それからしばらく、私達は毎日授業を一緒に受け、食堂に行き、

ノンストップで話し続けた。

ローズという「タイムマシン」が彼女の経験や叡智を私に聞かせてくれる度に、

私は彼女に魅了されたのであった。


知らず知らずのうちに、ローズは大学の注目の的になっていた、

大学の学期が終わった後、彼女は大学のパーティーでスピーチを任された。

私は、その時の彼女の言葉を一生忘れない。

彼女は司会者に紹介された後、前に上がった。


彼女が話そうとしたその時、彼女はスピーチのカードを落としてしまった。

彼女は恥ずかしがり、イライラしている様子だった。

それから彼女はマイクのほうに行き、「バタバタしててごめんなさいね。

キリスト教で禁酒してるから、ビールは飲まないと決めてたんです。

それにしても久しぶりのウイスキーは美味しいですね!

さっきのカードの順番もわからなくなったので、

とりあえず私が知っていることを喋りますね。」とアドリブで言った。


会場は笑いに包まれた。


私達は年老いたから遊ぶのをやめるのではなく、

遊ぶのをやめるから年老いてしまうのです。

若さを保ち、幸せになり、成功するための秘訣は4つしかありません。

毎日よく笑い、面白いことを見つけるのです。


夢を持ちなさい。夢がないと、あなたは死んでしまいます。

世の中は死んでいる人達ばかり!しかも本人達はそれに気づいていない。

年老いていくことと、成長することは全くの別物です。


もしあなたが19歳で、1年中寝てばかりいて生産的なことをしなければ、

20歳になります。

もし私が87歳で、1年中寝たきりでいたら、88歳になります。


誰だって年老いていくことはできます。特別な能力や才能は要りません。

大事なのは、いつも「成長する」機会を見つけることです。後悔をしないこと。


年長者は、「やったこと」への後悔はありません。

でも、「やらなかったこと」への後悔はたくさんあります。

死を恐れるのは、いつも後悔ばかりしている人です。


彼女は、勇敢に「ザ・ローズ」という歌を歌い、自分のスピーチを終わらせた。


彼女は歌詞を聞き、毎日においてそれを実現しなさいと言った。


年が終わり、ローズは遂にずっと夢に見ていた卒業証書を手に入れた。

卒業した一週間後、ローズは永遠の眠りについた。


彼女の葬式には、2000人もの大学生が参列した。

彼女は、「夢を実現するには遅すぎるなんてことはない」という

大切なメッセージを彼らに伝えてくれたのだ。


年老いていくのはみんな一緒である。

しかし、成長するかどうかは、人それぞれである。

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2013年3月 1日 (金)

新たな上り坂が始まる

「新たな上り坂が始まる」


私は現在52歳

正直、青年時代が懐かしく思うこともある。

人生のピークはいつだったのだろうか

そんなことを考えると

自分の存在に虚しさを感じてしまう


いまはまだ若い人もいつずれは年をとるのです

そんなときに

とても元気をもらった言葉がありますので皆様にも紹介します


映画でも有名になった「レ・ミゼラブル」を書いたヴィクトル・ユーゴーの言葉

「40歳は青春の老年期であり、50歳は老年の青春期である」


人生後半は下り坂とは考えず

新たな上り坂が始まると考えたい

50歳までは青春時代の延長を楽しめるのだろう

50歳からは大人としてさらに成長し新たなスタートが切れるのだろう

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土光敏夫氏に教わった経営と人生

「土光敏夫氏に教わった経営と人生」
            平林武昭(日本システム技術社長)


昭和三十七年、私が石川島播磨重工業に
入社した時の社長が土光さんだったんです。

その頃は瀕死の重傷に陥った
石川島播磨の経営再建を成し遂げて
社会的に注目を集めていらっしゃいましたが、
そういう人と偶然とはいえ、
巡り合えたのは幸せだったと思います。

格調高き人物に出会いの縁・運があった。
縁とか運とか目に見えないものを大切にすることで、
道がひらかれるのではないでしょうか。

土光さんと私はまったく次元が違うし
比較にもならんのだけれども、共感するところがありましてね。

一つには土光さんは岡山市、私は播州赤穂と故郷が近いんです。
そして信仰篤い家柄、なおかつお互いに農家の出でしょ。
春夏秋冬、とにかく休む暇なく
百姓仕事に汗したことも土光さんに共感した理由です。

それに、土光さんは受験の挫折とか代用教員を経て
大学に入るなど随分苦学されたようですが、
私も学区制を破って隣県の高校を受験しようとしたり、
親元を離れて千葉の高校に転校したり
向学心が旺盛でしたから、そういう点でも
親しみを感じるものがありました。

入社して間もなく我われ東京・豊洲
(当時は東京砂漠といわれていた)の
工場の新入社員五、六人で経営の勉強会を始めました。

ところが、ある時「経営は学か術か」というテーマで
社長の土光さんに一度講義をしてもらおうじゃないか
という話になりましてね。

新入社員のプライベートな勉強会なんか
普通、トップは来ませんわ。

ところが土光さんは実行の人ですよ。

勤務後、バスに乗って本社からやってこられたんです。
考えたらこれは大変なことでね。
私も「やはりただ者ではない」という思いを強くしました。

いまでも覚えていますが、

「議論する時は対等だ。同じ社員だ」

とおっしゃるんです。

大企業の社長と新入社員が対等なんてありえないでしょう。
でも土光さんは私たちの考えに
謙虚に耳を傾けてくださいました。 

あの方は根っからの技術者なんです。
日本を技術立国にしようと努力した方だけに
技術者を凄く大事にされました。

工場視察に行くと普通のワーカーたちに
「ここはどうなっているのだ」と気さくに聞いて回られる。
それが楽しかったようですね。

労働組合の団交にも自ら行って腹を割って話された。

とにかく偉く見られようとか、地位に固執するとか、
そういう素振りは一切なかったし、
謙虚な姿勢は九十二歳で亡くなるまで変わりませんでした。
そういう姿を見ると誰だって信奉します。
素晴らしい傑物でしたよ。




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